内向型の逆襲

念のため言っておきますが、ブログ名がとてつもなくダサいことは認識していますよ

人は本当に自由になれるのか

SNSでやたら目につく「自由に生きようぜ」というメッセージ。

過酷な労働を強いて、うつ病や過労死を生み出してきたブラック企業や日本の社会そのものが生んだもうひとつの「ブラックメッセージ」だと僕は思っている。逆に振り切り過ぎたね。

 

人は自由には生きられない

 

甘い言葉に酔う事はできるが、自由を謳歌するにはそれ相応の資格と覚悟がいる。それを満たす者のみが自由に生きられる。

自由と堕落を履き違えている人があまりにも多い。働きすぎ、給料安すぎのブラック労働の一方で「それはただ怠けたいだけでしょ」っていう人が増えている。

 

薄っぺらい者に影響を受けた末路

「バイトが嫌いだからブログで稼ぐ」と公言する女子大生が出てきた。影響を受けた面々を見てみるとやっぱりあの自由に生きようぜというメッセージを発信し続ける人たちだ。

彼女は「あの人たちにできたんだから私にもできるはずだ」と信じて疑っていないはずだが、稼げている人たちは人格はともかくなにかしら才能のある人たちだよ。

少し彼女のツイッターやブログを読んでみたが、影響を受けた人々の完全な劣化コピー。二番煎じ、三番煎じくらいなら味もするが、何回煎じたのかすらわからない薄すぎる内容でもはやただの「お湯」だ。心に刺さるものが何もなくあれで稼げるはずがない。

ただその仲間グループの人たちが寄ってたかってチヤホヤするもんだから、本人はその気になっている。「応援をしている」大人たちがあまりにも無責任すぎる。自分さえよければいいんだろうね。まともな大人は誰かが道を踏み外しそうになった時に、きちんとそれを正すことができる。まともでない大人は他人をそそのかすことしか知らない。

 

そもそも冷静になって考えると、何の実績もなく働くことすら嫌悪している女子大生の言葉がまともな人々に響くはずがない。厳しい事を言うが才能がないんだよ。それが全て。

発信のみを正義と信じる発信真理教。肝心なのは中身なんだよ。

 

ドイツの哲学者、ショーペンハウアーは言っている

読書が書く修行になる唯一の方法は、私たち自身の天賦の才の使い方を学ぶ事で、それは私たちがそういう素質をもっていることを前提とする。この前提がなければ、読書から学べるのは、冷たい血の通っていない、わざとらしい技巧だけで、私たちは底の浅い模倣者になってしまう

ショーペンハウアー『読書について』光文社古典新訳文庫

 

要約すると、

自分の中に才能があることが前提で、才能がない者は読書から真似する技術しか学べない。深い文章は書けないよ。

ということだ。

 

同じ本の中でショーペンハウアーは「薄っぺらい本を読まずに濃い古典を読みなさい」とも言っている。

薄いものから影響を受け続けると、恐ろしい失態を世に晒すことになる。昔から何も変わってないのです。

 

読書について (光文社古典新訳文庫)

読書について (光文社古典新訳文庫)

 

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忍耐の中から学ぶこともある

僕もそりゃあ若い頃バイトは嫌いだったよ。できればいますぐ辞めたかった。でも家賃を払うのにお金が必要だったし、嫌いでも行ってればたまに楽しい事もあるし学ぶ事もある。その時はわからないが後で気づく事もある。

 

・お客としてのふるまい方
・粋なお客さんに共通すること
・これをされたら店員が傷つくこと
・どんなに忙しくても常に冷静であれ
・切れたら負け
・無駄なおしゃべりは必ずミスを誘発する

 

多くのことに気づかせてもらった。

自分が客になった時のふるまいは全て当時のバイトから身につけたモノだ。

当時は社長や店長をグチったりもしたが、それは結局何も生み出さない無駄な時間だった。雇われて文句を言うのは簡単だが、文句を言いたくなければ起業するか社長になるしかない。自分でなんとかするしかない。社会とはそういうものだ。

 

未熟な自分の不平不満を吐き出して食べていけるシステムも存在しなかったし、応援する人間もいなかった。僕個人としても好きな事をやって生きていこうとは思っていたが、そんなの親に言う事じゃないし、誰かから応援してもらおうとか甘えたことは一切考えなかったよ。応援してもらえないのは当然だし、ずっと後ろめたい気持ちの中で生きてきた。ただ自分の実力をつけ、現実を変えることでしか、今の生活は変わらないだろうと思っていた。だから「私、ブログで食べていきます」って公言できる気持ち、オレには一生わからんよ。

 

現実を変えるための行動を少しずつ積み重ねてようやく今の自分がある。少しではあるが自分のやりたい事でお金を稼げるようになってきた。

才能がないのが、自分でよくわかっているのでやるしか方法はない。誰かに応援してもらえるのはもちろん嬉しいが、応援してくださいっていうほど愚か者ではないよ。

 

黙って黙々とやり続けることのパワーをなめちゃあいかん。

 

一番怖いのは洗脳

心地よい言葉が本屋の自己啓発コーナーに溢れている。SNSにはそれよりももっと心地よい言葉が溢れている。本は有料だから購入者も真剣に選ぶし、質の高いモノもあるが、ネット情報は無料だから質は低いものが多い。そしてそういうものは搾取される層に届きやすい。今は最も洗脳されやすい時代だろう。

 

僕も何かに洗脳はされているのだろう。ただそれは僕の成長を促すモノであり、洗脳は危険だと教えてくれて、自分の頭で考える事の重要性を説くモノだ。自分を甘やかすモノ、堕落させるモノは直感ですぐわかる。「あ、これは手にしちゃあいかんヤツだ」って警告される。音楽も、映画も、本も本当にいいモノを選び、触れてきたから今の自分がある。

 

残念ながら自分に都合のいい話しかきかない連中には何を言っても届かない。それが洗脳の怖さだ。自分の気にいらない考え方は全て嫉妬や攻撃とみなしブロック&アンチ認定。こんな人々が本当に恐ろしい勢いで増えている。

それがデジタルタトゥーとしてインターネット上に永遠に記憶されているからさらに恐ろしい。

 

ツラいから自由を求める気持ちは痛いほどわかる、だからこそ自分に厳しくすることも学習して欲しい。「好きなように生きろ」と言っている人も、実は「自分に厳しく」している。それを当たり前だと思っているからいちいち言わないだけだ。自分に都合のいい、甘やかしてくれる箇所だけを読み取ってはいけない。

 

自由に生きるのは才能のある一部の人だけに許される

ということを理解してほしい。

才能がない者は愚直に努力をするしかない

ということを覚悟してほしい。

 

これは全て自分に対する警告でもある。