内向的でも堂々と生きていける

主に人間関係や楽な働き方について書きます。少しでも読んだ人が楽になれば嬉しいです。

その笑いは本当の笑いなのか?

元号騒動で今年は取り上げられなかったが、毎年のエイプリルフールのおふざけが僕は大嫌いです。嘘をついて人を笑わせたりびっくりさせたりするということに全く共感できない。

 

いくつになってもエイプリルフールに熱心になる人。そんな「フール」は放っておいた方がいい。ハロウィンと並んでスルーすべき二大イベント確定です。

 

小学生の頃、浣腸が流行った。実際に浣腸をお尻の穴に注入するわけではなく、カンチョーと叫びながら、人の尻に二本の人差し指を組み合わせ作った自家製浣腸で攻撃をするのです。

今思えばあんなくだらないことでよく盛り上がれたなと恥ずかしい気持ちしか湧いてこないですけど、あの頃はあれが最高レベルの笑いで内輪で盛り上がっていました。

 

エイプリルフールのおふざけは僕にとってはあの頃の「カンチョー」と同じレベル。

若者は仕方ないが、いい歳こいて盛り上がっている人に対しては、その程度の笑いしか知らない残念さを感じます。

 

■会場の雰囲気で笑っていることもある

先日とあるライブに行ってはっきりと再認識できたのですが、いたるところカンチョーだらけですよ。

 

声のでかい人、感性のレベルが低い人ほどカンチョーに依存してますね。

面白いことを言っているようで全然面白くない。

 

笑ってくれている理由は人によって様々です。

・なんとなく

・笑うのが好き

・会場の雰囲気

・気を使ってくれている

・友達だから

・ファンだから

 

何か言葉を発するということは多分誰かを楽しませようと思っているからなのでしょうが、結局その人の感性のレベル以上の笑いは生まれないのです。

下品な人間は下品な笑いしか提供できないし、揚げ足取りは揚げ足を取る笑いしか提供できない。

 

笑ってくれているのは面白いからではない。

その場所の雰囲気がそうさせてくれているだけということは少なくないです。それに気づかないといつまでたっても人の尻に指で攻撃を繰り出すあの愚行を繰り返すことになる。

 

自分はカンチョーを繰り出すしか能のない面白くない人間だと気づくこと。

それが将来的に自分を救うのです。

目の前の人は本当に心の底から笑ってくれてますか?

 

■部室での内輪話よりも美しい世界を見た方がいい

次から次へと起こるSNSでのバイトテロなども結局は究極の内輪盛り上がり、ネットを利用したカンチョーでしかない。いくつになってもカンチョーに依存している自分を恥じるべきなのですが、周りが笑ってくれるから「オレは面白いやつだ」と勘違いすることになる。

 

自分は面白いと勘違いすることは危険なことなのです。

部室内ならみんな笑ってくれますが、一歩外に出るとその価値観は恐ろしいほど通用しないのです。

 

SNSから距離を置こうと思った一番の理由はそこですね。

みんななかなか部室から出てこない。そしてどんどん声だけが大きくなる。

 

「この人は内輪にしかメッセージを発していない」

「内輪盛り上がりしか求めていない」

それに気づいた瞬間めちゃくちゃ興ざめするんですよ。実際自分もそんなことをしていたからよくわかります。

 

部室にいるのは個人の自由なので全然構わないんですけど、いろんな部室につながっているじゃないですかSNSって。興味の全然ない部室もある。そんな部室からワイワイ声が届いてくる。もうそれに耐えられなくなってしまったんですよ。

 

誰もが世界を目指す必要は別にないと思います。

ただあまりにも狭い世界に自らを押し込めておくのは、すごく損をしているような気がするのです。

 

何でもかんでも仲間内で共有、内輪ウケしかしない価値観で生きていくということは、

「オレは一生、部室の中で生きていくゥ!」と宣言することに等しい。

内輪ウケベースでは決して大きい笑いは狙えないし、本物の感動は起こらない。

 

広くて美しい世界がすぐそこに広がっているんだから、そちらに目を向ければいいじゃないですか。

視野が広がれば面白い話題や笑いも生まれるのではないでしょうか。