内向型の逆襲

念のため言っておきますが、ブログ名がとてつもなくダサいことは認識していますよ

怒りの沸点は高く、笑いの沸点は低く

怒りの沸点が低い人といると疲れますよね。

笑いの沸点が低い人といると楽しいですよね。

 

以上、本日言いたいことはこれが全てです。

 

僕も若い頃はよく怒ってましたよ。

居酒屋がメチャクチャ混雑していて、散々待たされているのが気に入らずなぜか僕に八つ当たりしてきた同僚がいたので、飲まずに帰ったことがありました。

職場の同僚同士で焼肉に行った時に、やたらと若い女性店員にからむ奴がいたので、「いい年こいて何やってんの?お前子供いるんだろ?」とつい言い放ってしまったこともあります。僕は酒を飲まないので、酒の勢いで羽目をはずす人々を人一倍軽蔑するのです。

 

両方とも20代の頃のこと、やっぱり若かったなあと反省しています。

自動車の保険は若い人ほど保険料が高い。その理由が今はよくわかります。若者はキレやすい。僕もそうでしたから。

 

今ならそういう人たちに遭遇しても絶対にそんなことはしません。黙って絶縁するだけです。怒ったり、不快になったりする時間がもったいない。アドバイスもしない。どっちにしろ伝わらないし、アドバイスが理解できるならとっくに実行している。

 

人のレベルはその人が望むレベルまでしか上がらないのです。

 

■キレたらそこで試合終了です

僕の沸点が年齢とともに下がったように、皆年をとれば沸点は下がるものだと信じていました。どうやら年齢と沸点の低下は関係ないようです。それは多分みなさんが普段の生活で感じていることだと思います。

 

とある友人が親族ともめていてそのことを話したのですが、

「金があったらこんなとこに住むか!」ってあいつらに聞こえるように言ってやったぜと得意げに言うのです。

 

残念なことにまだこの知人もクソガキのまま。問題は多分解決しないでしょうね。また腹が立ったら連絡すると言って帰りましたが、人に解決を依存している・次も腹を立てる気満々な時点で問題を解決させる気がない証拠。僕の言葉も届かないでしょうね。

 

その怒りを人にぶちまけないようになったとき問題は解決するのです。怒りや怒りの元になる何かしらを自分の中で打ち消せるようになった時、はじめて人は認めてくれるのです。怒りを怒りのまま表現して評価されるのはヤンキーの世界だけです。

 

激情を激情のまま伝えても人は絶対に動きませんよ。嫌悪されるだけ。

冷静な言葉に変換するか、破壊力のある行動で示さないと。それでも人が動くがどうかはわかりません。ほぼ運任せみたいなところがありますよ。

 

ただ一つ確かなことはキレたら終わりということです。

キレて喚き散らしている人がどんなに正しいことを言っていても誰も聞いてはくれません。そういうものなのです。

 

正しいか、正しくないかではなくキレたらおしまいなのです。

キレた自分を世間や家族にさらすということは「オレを嫌ってくれ」ということなのです。

そしてよくある「オレ沸点低いからよろしく」アピール。これ、友達やめようぜという意味ですから。迷わず縁を切りましょう。

 

■不機嫌の表明は最も幸せを遠ざける行為

偉そうなことを書いてきましたが、僕自身過去何度もキレて失敗してきました。だからこそ、無理やりにでも怒りの沸点を上げるための努力をしているし、笑いの沸点を下げる努力もしています。

 

怒りも笑いに変えてしまえば一石二鳥。時間がかかるかもしれませんが、怒りから笑いを生み出せる人が最強です。

怒りをその場で吐き出してしまえば、ただの輩にしかなれませんが、笑いに変えることで人は成長していきます。場合によっては人を喜ばせることもできます。

 

カフェで人の話を盗み聞きしていても、ほとんどの人が怒りを怒りのまま放出しているだけで、よくその空間に一緒に居られるなと感心します。単純に楽しくないでしょう?

 

よく笑う人、笑いの沸点が低い人はどこへいっても評価されますよ。

 

イライラしている人は自分の周りにいてほしくない。

笑っている人が自分の周りにいてほしい。

人間ってそういうもの。シンプルです。

 

イライラしている人がイヤならまずは自分がイライラしないこと、不機嫌を表明しないこと。多少訓練が必要かもしれませんが、そうすれば笑っている人が周りに集まってきますよ。