内向型の逆襲

念のため言っておきますが、ブログ名がとてつもなくダサいことは認識していますよ

フェスのポイ捨ては永遠になくならないが絶望することはない

■夏は終わるがポイ捨ては終わらない

暑かった夏がなんとか終わろうとしている。ロックフェス、夏祭り、花火大会など様々なイベントが各地で開催された。皆さんは楽しめましたか?

フェスやイベントの度に、ゴミのポイ捨てを嘆く声を耳にする。僕自身も何度もそれを目撃しているし、最近イベントのゴミ拾いをやったので実感としてよくわかる。

 

ポイ捨てをする人間は捨てられたゴミ以下の人間だ

 

と強く思う。

 

あるロック系フェスの日に某牛丼屋で明らかにフェス帰りとわかる集団と一緒になった。食べ終わるタイミングが同じで、その集団が駐車場から出る一部始終を見ていたけど、その車の置き土産として空きペットボトルが車の形に沿って3、4本立ててあってマナーのなさに呆れた。ペットボトルで魔方陣作るのが流行っているのか?

あの光景は忘れられない。

 

その一方でまじめにゴミを分別し、きちんと捨てて帰る人がいることも知っている。そちらが大多数だということも分かる。自宅のペットボトルのゴミ捨てをする時に皆きちんとラベルが剥がしてあって毎回感心する。そういう人が大勢いる現実も確かにある。

 

日本のロックフェスの問題点はゴミのポイ捨てだと嘆いている人、

フェス ポイ捨て 海外

で画像検索してみてほしい。

 

あれを見ると考え方が変わると思う。文化が違う。全てにおいてレベルが違う。

そりゃあワールドカップで絶賛されるよ。

彼らにとっては「ゴミはその場に捨てるモノで拾う係がいるからそれは当然のこと」そういう考えだ。それを真似しろとは言わないが、現時点で日本のフェスの方が圧倒的にゴミが少ないのは一目瞭然だ。

 

もちろん高い理想を掲げている日本のフェスの理念もわかる。ここは海外じゃない、ああなってはいけないというのもわかる。しかし一部のどうしようもない人種の愚かな行為はこの世からなくならないよ。それを気にしすぎて傷ついたり腹を立てたりして消耗する必要は全くない。現段階でも日本のフェスはゴミが少ない。それでいいと思う。

現時点でゴミ捨てができている人は今後もできるし、できてない人は今後もできない。それだけのことだ。人は変わらない。変えようとしても意味がない。

 

■人が多く集まればある一定数そういう人が現れるのは仕方がない

日本のフェスでも確かにポイ捨てをする人はいるが、それはほんの一部の人で気にすることではない。確率の問題。大多数の人はしていないから一部が目につくだけのこと。

それを見て「ああ、自分もポイ捨てしよう、してもいいんだ」と思ってしまうのが問題であって、そう思わなければいい。自分の信念をつらぬけばいい。

忠告や喧嘩をしてまでゴミを捨てさせる必要もない。捨てる人間はそういう人間。それは仕方のないことだ。割り切ろう。諦めよう。

 

そういう人はモテない、社会的にも評価されない人生を勝手に送っていく。世の中によって分別されていくので放置すべし。

あなたが捨てなければそれでいいじゃないですか。

もし他人のゴミまで拾って捨てるならなおさら素敵じゃないですか。

 

ゴミを捨てないことを熱心に訴えるアーティストのCDやグッズを買ってサポートすればいいし、ゴミを捨てているアーティストを見つけたらその人たちのグッズを買わなければいい。それを粛々と実行していけば、全てがあるべき姿になっていく。

豊かになるべき人は豊かになり、貧しくなるべき人は貧しくなる。自然の摂理。

 

他人を変えようという気持ちをまずポイ捨てしましょう。あの人たちは変わらないよ。

 

■今後は堂々と楽に生きよう

ポイ捨てが気に入らないと思う、感じる時点でもうすでにスタートラインに立っている。誇りを持って堂々とすべきことをすればいいだけ。今後も人生を楽しめばいいだけ。

何も感じない人はスタートラインにも立てない。

そういうものだと僕は思います。

 

今この時点でできていることに気持ちを切り替えた方が楽に生きていける。

来年はもっと楽な気持ちでフェスやイベントを楽しんでください。

 

変わらないものを無理して変えなくてもいいという話でした。

洞察が深い人が好きだという当たり前の話

最近やたら感謝する人、したがる人が目につく。むりやり前向きになっている人が目につく。しかしその実体は中身がないこともよくわかる。不安から来ることもよくわかっている。自分がそうだったから。

 

そういう人たちに共通するのは思考が浅く、洞察力がないということ。

 

何に影響を受けたかでその人の人生は大きく変わると思う。

例えば本、映画、音楽。影響を受けた作品群の浅さ、深さがその後の人生を決める。

個人的にはオリジナルに触れるのが一番いいと思う。二番煎じ、三番煎じくらいならまだ味は残っているが、五番煎じ、六番煎じになるとほぼお湯である。それにも関わらず味があると思い込み、お茶ではないものをお茶だと信じ込んで飲み続けている。

だから「本物のお茶」に初めて触れた時に濃すぎて飲むことができない。本物を理解できない。

世の中にはその五番煎じ、六番煎じが当たり前のように氾濫している。わかりやすさは正義かもしれないが、内容を薄くしてまでわかりやすさを追求する必要はないと思う。

 

ショーペンハウアーの”読書について”でそのほとんどに対する答えがあった。

 

自分で考えることと、本を読むこととでは。精神におよぼす影響に信じがたいほど大きな開きがある

 

自分の頭で考えずに鵜呑みにした知識よりも、量はずっと少なくとも、じっくり考え抜いた知識のほうが、はるかに価値がある

 

学者、物知りとは書物を読破した人のことだ。だが思想家、天才、世界に光をもたらし、人類の進歩をうながす人は、世界という書物を直接読破した人のことだ

 

彼が後世に伝えたいことはシンプル。

自分の頭で考えなさいということだ。

 

浅い人も何かしらからポジティブなものから影響を受けているのだとは思うが、自分で考えて深層に落とし込むという作業を怠っているのだと思う。

自分を正当化するために誰かをdisる文化も思考の浅さからきているのは間違いない。

それをやると簡単に敵を作り、それに同調してくれたとしても、その人たちも似たようにすぐに誰かをdisる人たちだ。そんな中にいて精神が真の安らぎを得られるはずがない。

自分の頭で考えずに、思いついたことを何も考えずに実践しているだけだ。だからそういう人たちの言葉は何も響かない。

 

うわべだけをなぞってそれに共感してくれる人というのは、しょせん浅いものにしか反応できない浅い思考の持ち主。そんな人々を相手にする必要はない。

自分の頭で考え、それを吐き出し、たとえ多くの人に理解されなくても少数の洞察が深い人々に届けばそれでいいと思う。

 

自分が貴重な時間を使って話したい人々というのはそういう深い思考能力を持つ人々であり、誰でもウェルカムという姿勢は最終的には自分を消耗させるだけのことだ。

そんなことをしている時間は僕にはないし、今後も作るつもりはない。

 

優しいだけの甘い言葉は何も生み出さない。

 

読書について (光文社古典新訳文庫)

読書について (光文社古典新訳文庫)

 

 

全くテレビを見なくなった理由

ワールドカップの決勝戦、フランスvsクロアチア以来テレビを見ていない。24時間テレビ?もっとも嫌いなジャンルだ。

毎年夏になるとジブリ作品がTV放送されて話題になるが、CMでいちいち現実に引き戻される状態で映画を見ようと思わない。よくあれに耐えられるなと感心する。

 

結局テレビをテレビとして使用したのは、ワールドカップ期間中だけで今はスリープ状態で眠っている。ワールドカップの前もそうだった。ニュースも全く見ないが何も問題はない。

 

ちょうど20年前、フランスワールドカップの時にケーブルテレビとwowowに加入した。その頃すでに民放は全く見なくなっていたが、好きな映画、欧州サッカー、MTV、ガンダムを観れた。ネットが普及する前のあの時代はあれしか選択肢はなかった。

 

時代は変わって今はAmazon Primeのみ。サッカーは見れないが月額1000円にも満たない金額で必要な娯楽をほとんどまかなえる。当時ケーブルテレビに月5000円払っていたのがバカらしい。

CDやDVDレンタルもほとんどしなくなった。延滞料金のリスクもあるし、なんだかんだで返却が面倒臭い。時代の流れにあわないものが淘汰されていくのは仕方ない。

 

自分の頭で考えるのをやめた人がテレビを見続ける

テレビを見るのをやめた一番の理由はテレビをだらだら見続ける人がほぼ例外なく自分の頭で考えることができない人だからだ。そういう人を多く見てきた。自分は絶対にそうなりたくない。その強烈な想いがある。

 

今年の夏の頭に豪雨による災害のニュースがあったが、あれをニュースで観ながら夕ご飯を食べられる神経が僕にはわからない。永遠に理解できない。何か人として大事な感性が欠如しているような気がする。

 

面白い番組はあるので、それを録画し観るのはありだと思うが、見たくもない番組をダラダラ見続けることは脳にとってマイナスしかない。

無料で垂れ流されるテレビはもう完全に時代遅れ。それになんの疑問も抱かずダラダラ観ている側はさらに時代遅れ。

 

世の中にはもっと面白いことがある。

自分の頭で考え行動すると、面白いことに遭遇できる確率が上がる。

考えることを放棄し、受け取る情報だけに娯楽を求めて、人生が面白くなるはずがない。

 

Amazon Primeちびまる子ちゃん見放題。見るしかない。

この手軽さにテレビは勝てないよ。

炎上するのはこんな人

昨日も、今日も、明日もネット上のいたるところで、どうでもいいことが炎上してますね。ネット上で「炎上とともに生きていく」一部の人を除いて多くの人は炎上なんかしたくないと思うんです。みんなそんなに強いメンタルを持っているわけじゃない。

発言が炎上しないためにはまずどういう発言が炎上するかを知ることが重要かと思いましたので、僕なりに炎上案件を分析して気づいた事を挙げてみました。 

 

発言が炎上する人に共通すること

人に対するリスペクトがない

言葉遣いが汚い

有名な人の悪い部分だけを真似している

自分だけが正しいと信じ込んでいる

自分は頭がいい事を証明したい

配慮に欠けている

短気さが伝わってくる

他にもあると思いますが、今思いつくのはこれくらいです。

 

できれば炎上を避けたい人は以下で詳しく解説しますので読んでみてください。

当たり前のことばかりですが、一応書いておきます。自分がやらないためにも。

 

やってはいけないこと(炎上を起こす人がよくやっていること)

ブロック・ミュート報告

「はい、この人ブロック」とブロック報告。ブロック・ミュートは個人が勝手に行うことでいちいち他人に報告することではない。それをやる人は人として何かが欠けている印象を持ちます。

捨てゼリフを吐く

正論のような捨てゼリフは信者にしか通用しません。捨てゼリフを吐くのは悪役の雑魚キャラと決まっています。大物はそんなことしません。物事に真摯に向き合う姿勢の欠如ですね。捨てゼリフを吐かないということは重要です。

自慢する

誰だって自慢したい気持ちになることはあります。自慢して得したことありました?他人を応援する文化が根付いてない日本で自慢をすると、人の反感を買うだけなんですよ。自慢は信頼できる身内だけにしましょう。

論破する

論破もおすすめできません。論破されて嬉しい人は一人もいません。自分の正当性を裏付けるのは謙虚で落ち着いた振る舞いからです。正当性の主張ではありません。

言葉に品がない

言葉が汚いのは致命的です。語彙の豊富なチンピラ見たことあります?ないですよね。品のない言葉を使って罵るのは結局彼らと同じレベルだってことなんですよ。だからそういう言葉を使っているだけで自分が損することになる。言葉は名刺よりも重要。

クソ、むかつく、てめえ、オイ、クズ、カス等々これらを封印するだけで炎上のリスクはかなり減ります。

 

無意識にばらまいていた反感の集大成が炎上です。

これは反感を買うなと自ら気づくことが重要です。周りをイエスマンで固めてしまうと、自分のバランス感覚を見失います。「いいね」の裏に潜む危険を察知しないと、炎上が待っています。炎上を「嫉妬」で片付けると成長の機会は永遠におとずれません。

 

■炎上・クソリプを利用する

細心の注意を払っても炎上してしまう場合もあります。ほとんどが悪意によるものですがそれでもみんながあなたがどう反応するかをみています。周りの人は意外に冷静です。

フォロワー数は監視者の数という言葉があります。反応はしなくてもみんなあなたの発言を見ています。それを忘れてはいけません。

もし不本意に炎上したり、クソリプが来たとしても、落ち着きましょう。ダークな感情が載っていてもしょせんテキストデータです。落ち着く時間はあるし、無理にすぐ反応する必要も全くありません

 

みんなが見ているからこそ、くそリプや炎上に対する反応は、絶好のアピールの場にもなります。ピンチは最高のチャンス。冷静さを示す絶好のチャンスです。腹を立てても決して行動や言葉で表現してはいけません。

どうしても我慢できないときは送信ボタンを押す前に猫の動画を見ましょう。

どうでもよくなるでしょう?我に帰りましょう。

 

短気は損気

21世紀になってもおそらく22世紀になっても基本的に短気は損気です。

結局のところこれが不変の真実。

炎上もクソリプへの対処も全て自分次第。

メンタルが安定している人が最強なのです。

友達がいても会話に加わらないことが増えた理由

僕は元々ベラベラ話す方じゃないし、テンションも低いですが、最近は人と話をしたくないんですよ。正確にはつまらない話題しか提供しない人とは話をしたくない。ネガティブですねー。

好きな音楽、映画、アニメとかならいくらでも語りたいが、気がつけば政治や他人の悪口になっていて気分が悪くなる。

ショーシャンクの空に」でのモーガンフリーマンの演技について語りたい!ってどれだけ願ってもそういう話題になることはまずない。

 

1. 人はどうでもいいことを話したがるが聞くメリットはない

おしゃべりな人はどうでもいいことをさも大切なことにように話すが、よく聞いてみると本当にどうでもいいことだった。

どうでもいいことを話し、吐き出すことによって精神を安定させているのだろう。

それをイヤイヤ聞いている側の立場で考えると迷惑でしかない。やはりどうでもいいことは自分一人で処理してほしい。

 

2. その話、ゴシップですか?

暇な人、ストレスが溜まっている人ほどゴシップにハマる。

他人の噂話なんてどうでもいいじゃないですか。

「あっ、そう」で済む話をどれだけ熱く語るの?

ゴシップレベルまで自分を引き戻す層とは距離を置く。

お高く止まる必要はないが、常に行動を共にすると悪影響しかないのがゴシップ好きな人々。

 

3, 自分を正当化したいだけ

結局みんな不安だから何が正しいか自信がない。自分の正しさを誰かに承認されたい。自分を正当化したいだけなんですよ。そんな会話につきあう必要はない。

 

■人はなぜ話をするのだろうか?

じっくり観察するとびっくりするほど人の悪口なんですよ。人の数だけ考え方があって、それだけ摩擦が生じるのは仕方ないことかもしれませんが、あまりにも多い。

赤の他人の悪口でも聞いてると消耗するんですね。

「それ言って、意味あるの?現実変わるの?」って思っちゃうんですよ。

 

そんなことするくらいなら自分の好きなことについてじっくりひたすら語り合う方が最高に有意義な時間が暮らせると思う。

以前友人が「ジョジョの話しかしない飲み会」を企画していて、そういうのが一番まともなコミュニケーションが取れて面白いなと思った。気がつけば誰かの悪口や批判をしているのが人間というもの。それを封印するのは話題を限定するしかないのかもしれない。

 

■話したい人は自分の内面と会話をしている人

例えばツイッターで、「人の批判ばかりするのやめて、有意義な話しようぜ」って熱いツイートしても、人の批評ばかりしている人がいいねをつけたりしていて、「自分のことは全然見えてないんだな」って、毎回失望する。

人は他人のことは気づくが自分のことにはなかなか気づかないんですよ。気をつけているけど自分もおそらくそうでしょう。

 

僕が話したいと思うのはそういうのに気づく人ですね。

自分の中に自分に対する厳しい目を持っている人。

自分の言動は矛盾していないだろうかと自問自答を続ける人。

 

そういう人が多分貴重な時間を使って話す価値のある人だと思う。

誰もしゃべらないカフェを作ってください

コーヒーが好きで週に3、4回ほどカフェに行く。美味しいコーヒーを飲めるのはもちろんだが、僕の場合は1人の時間が欲しいからという理由もある。家でも1人になれるが猫の世話もあるし、Wifi環境の中でやりたい作業もある。

 

■自宅とは違う環境で集中したい

自宅に物音の一切しない他と断絶された書斎があれば何も問題はないが、ほとんどの人がそうじゃない。作家がホテルにカンヅメという話を聞くが、結局集中して作業するにはそれしかない。

そこまでの贅沢は言わないのでせめてカフェでそれに近い環境を作りたいと思うのだが、どんなにオシャレなカフェでもなかなか賑やかで集中や没頭とは程遠い。誰かが熱く政治の話をしていたり、おばさん連中が愚痴の言い合いをしていたりで心が休まる暇はない。

 

これだけPCやタブレット等で「作業」をする人が増えている現状で、今のように騒々しい環境は全く生産性がない。作業をするしないに関わらず、静かな環境は人にとって癒しであり必要。

 

世の中には、1人になりたい人もいる

 

賑やかにするのが好きな人はそれにふさわしい場所でやればいい。どこでもかしこでもとにかく大騒ぎってのは人としてどうなのかと思う。もちろんカフェで騒いではいけないという法律はないが、法律に書いてないことを自ら進んでするのがマナーというものだ。

 

■1人で行動する人ほど品が良い

カフェで大騒ぎをする人たちは1人で行動するということがなく、常に誰かと話をしていないと安心できない人種だ。

 

常に集団でしか行動しない人は一度1人で夕方4時のマクドナルドに行ってみるといい。

自分が取るべき行動が見えてくるはずだ。

 

1人で来ている人は、集団で来ている人に迷惑をかけることは決してないが、

集団で来ている人は、1人で来ている人に迷惑をかけていることが多々ある。

 

これが私語禁止カフェを提唱する最大の理由だ。

 

もちろんお客は減るので多少単価を上げることが必要だが、生産性の向上を目指す人はその程度の出費を惜しむはずがない。

今後知的労働に従事する人は増えてくる。物を考えないとお金を稼ぐことはできない。これからはそういう時代だ。

 

 

■カフェはこうあってほしい

もともとカフェは談笑の場としての機能もあるらしいが、快適なカフェの定義は人によって様々だと思うが、僕にとっては

 

  • 落ち着いた時間を過ごすための空間
  • 1人になる空間
  • 癒しの空間
  • 集中するための空間
  • 没頭するための空間

 

であってほしいと思っている。

 

私語禁止カフェ・もしくはおひとりさま限定カフェを作れば必然的に品のいい上品な人が集まり、生産性の向上という目的も達成できるのではないでしょうか。

愚痴、ストレス発散系はそれにふさわしい場所にまかせればいい。

 

誰からもさえぎられないというのは幸せなことですよ。

都市型フェスの最大の問題点

サマソニ2018が終わった。盛況だったようだ。

ノエルギャラガー最高の声も伝わってきて、行ってない身でも嬉しくなる。

 

今年は

Noel Gallagher's High Flying Birds

Queens Of The Stone Age

Nine Inch Nails

ここ数年かなり熱心に聴いてきた3バンドをまとめて観れる絶好のチャンスだったので行くべきだったのかもしれない。

 

同じ日に大阪と東京は観れないというのを大前提として(笑)、

タイムテーブルをみて愕然としたのは、僕の大好きなアーティストがもれなく演奏時間がかぶっているということ。最近のフェスでは当たり前のことですが、これこそが僕がフェスへ行かない最大の理由です。

 

東京の

Noel Gallagher's High Flying BirdsとQueens Of The Stone Age両方が好きなファンはどちらかを必ず諦めなくてはいけない。

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大阪の

Noel Gallagher's High Flying BirdsとNine Inch Nails両方が好きなファンはどちらかを必ず諦めなくてはいけない。

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高い金を払ってこんな理不尽なことありますか?

サッカーの前半戦は見てもいいけど、後半戦は見ちゃダメとあまり変わらないような気がします。

 

ステージが3つも4つもあって、それぞれに大トリが必要なシステムもわかる。自分がトリじゃないと嫌だとごねるわがままなアーティストも当然いるだろう。プライドが高い芸術家を満足させるにはトリにするしかなく、大御所アーティストの数だけステージが必要になる。

途中で人が帰ってしまうのが主催者側としては最悪のケースで人気の高いアーティストを最後にするのは必然。お目当のアーティストを見終わってさっさと帰られたらたまらないです。

 

新人、中堅、大御所、それぞれバランス良く好きで、それら全てが時間が重ならずタイムテーブルに配置されていたらそんなに幸せなことはないでしょう。

 

 規模を大きくしすぎて、肝心なことを見失っている典型例。

沢山アーティストが出すぎなんです。

観たいアーティストを全てみたいという一番シンプルな欲求がなぜか叶えられない。

 

もちろん行った人はそれでも行ってよかったというでしょう。高いお金を払っているから当然です。でもできれば好きなアーティストは全て見たかったというのが本音でしょう。

 

そもそもの大前提としてこんな暑い中に体力をフルに使ってまで、朝から晩まで音楽を聴いていたいと本気で思っている人がどれだけいるのでしょうか?行った人はもちろん体力のある人です。今年の夏は日本国民全員が真剣に夏の暑さについて考えたはず。

連休も増えているし可能なら秋にずらしませんか?秋にサマソニやっても誰も文句いいませんよ。「気持ちは夏なんだよ」でいいじゃないですか。熱中症よりマシじゃないですか。音楽聴くのに根性必要ですか?

 

そしてもし昼すぎから終演まで音楽を浴びていたとして、どれだけまともに聴けているのだろうか。記憶に定着するのだろうか?僕はそんなにも集中力は持続しない。食べられないけど元をとるためもうすでに美味しくないものを食べ続ける食べ放題と似ている。

 

確かに沢山の人気アーティストをまとめて一箇所でやるというのは集客面でも一番合理的なのでしょう。

アーティストにギャラを払う、高いチケット代を維持する、そのため犠牲になっているのが、客の満足度。

15000円払ってNoel Gallagher's High Flying Birdsだけを見たいならこのシステムでも何も問題はない。

見たいアーティストを物理的に絶対に見られないシステムにしていることが問題。

 

若い頃にハイスタやミッシェルが出る都市型フェスに足を運んだこともある。その頃はフェス黎明期で全てのアーティストを観れるシステムだった。それを知っているから今のシステムに不満があるのかもしれない。

 

僕は単独公演派だ。なぜなら圧倒的にコストパフォーマンスがいいから。体力を消耗しないから。

10年以上前だがFoo Fightersの武道館公演は良かった。

 

Noel Gallagher's High Flying Birdsも

Nine Inch Nails

Queens Of The Stone Age

単独公演なら確実に行っていた。

 

アーティストのアルバムが出た時に真っ先に願うのは来日公演は単独公演でお願いしますということ。もしかすると僕が大御所だと思っているアーティストももうフェスでしか来日できないほど日本では集客力がないのかもしれない。

 

それは仕方ないし我慢するので、せめて好きなアーティストを交互にゆっくり観れるシステムだけは作ってほしい。それぞれのステージのキャパの問題もあると思うがなんとかしてほしい。

今の身を切るような選択を客に迫るシステムは、アーティスト側にも遺恨を残す。

 

Nine Inch Nails

Noel Gallagher's High Flying Birds

ともに実力、実績、人気全てを兼ね備えているアーティストなだけに、それを両方観れないというのはどう考えても理不尽。

 

ノエルが終わった後大量に客が流れてきて、Nine Inch Nailsトレント・レズナーはどう思うか。

そこに答えがある。

 

少しでも苦痛をともなうなら帰省はしなくてもいい

ひとりカフェが趣味なので行って美味しいコーヒーを飲んでいるのですが、お盆の間は帰省組が多くて混んでいた。そして結構な割合でみんな家族の悪口を言っていた。

それをインスピレーションにして、「お盆は帰省しなくても大丈夫よ」的なツイートをしたら知り合いだけじゃなくて、フォローされていない人からもいいねが数件ついた。みんな辛い思いしてるんだなと思って切ない気持ちになった。

 

タイトルにも書いてますけど、重要なことはここだけです。

繊細な人は帰省しちゃダメです。

カフェで悪口を大声で垂れ流すのはみっともないと考える繊細な心の持ち主は帰省しちゃダメです。

自分の実家なら逃げ場もあるでしょうが、旦那さんや奥さんの実家ならば完全に逃げ道なし。必ず精神が崩壊します。

 

帰省しても大丈夫な人はこういう人

  • 全ての話を流せるテキトーな人
  • 地雷が一切なく完璧な人生を送っている人
  • 全てをお金で解決できる人
  • 奥さん・旦那さんが自分を全力で守ってくれる人

 

ガサツな人は会話にセンスがない上にやたら詮索ばかりしてきます。

それが一番疲れるのです。

会話が広がらない、広げる力がないなら沈黙が一番なのですが、あの人たちは口を動かすことを決してやめません。

それを全て流せる人は里帰りを心から楽しめる人種です。

 

今は共働きが当たり前の時代で、両方が仕事で疲弊しています。精神もギリギリのはずです。弱っている精神をさらに痛めつけてどうするんですか。逃げましょう。

「逃げずに頑張る」のは日本人の一番ダメなところです。

そして頑張るところはここじゃない。旦那さんや奥さんに優しくしたり、子供を楽しませたりそちらにエネルギーを使いましょう。

 

父母、義父母、その他親類が人生を楽しんでいないのはその人たちの責任です。自分たちが楽しめていないからといって他人に干渉するのは間違っています。孫や息子たちが帰って来なくても退屈しない人生を本来は構築していなければいけません。

 

家族は仲が良い方がいいという同調圧力があります。戦争はしない方がいいと同じで当たり前のことです。それでも仲が悪い人がいるし、親族内に苦手な人がいるのは当然のこと。

仲が悪いことを恥じることはないし、悪くても楽しく生きていけます。その人と会わなければいいのです。簡単ですよね。

 

僕は21歳から35歳くらいまでの間、一度も実家に帰っていません。誰とも揉めていたわけじゃないけど帰っていません。(交通費がなかった、笑)

 

40歳になる前に高齢の一人暮らしの祖母の面倒を見る必要が出てきたので田舎に戻ることにしました。その時に親類の1人がかなり失礼なことを僕に行ってきたんですね。

何を言われたかは書きませんけど、他人だったら絶対言わないことですよ。もちろん本人は何が失礼か全く気付いてないでしょう。一番厄介な「善意」からの言動でしょうね。

親族というコミュニティ内ならば何を言ってもいいと勘違いしている人がいるのです。

比較的メンタルが落ち着いてきた30後半だったから耐えられましたけど、これが20代前半のメンタルが不安定な時期ならかなり危険なことになっていたかもしれません。

でも言われて良かった。それは「私とは縁を切ってください」という明確なサインだから。

 

まだまだ政治や企業は頑固で動きませんが、個人レベルではうつ病や過労死について真剣に考える人が増えてきました。解決を望む人も確実に増えてきています。

そろそろ無意味な帰省についても考える時期ではないでしょうか?

日本中の「お盆の乱」による経済的損失もかなりあると思いますよ。

 

都会へ戻る渋滞の車内で暑い中、奥さんは終始不機嫌、子供はその雰囲気を察して凍り付いている。来年も同じことを繰り返すのですか?

最善の選択は会わないということ。会わなければ絶対に問題は起こりません。

 

僕はお金はあまりないけど楽しく暮らしてますよ。

価値観が違う人とは一切会わないという選択を日々実行してますから。簡単です。

 

苦手な人と距離を置くのは超ポジティブな行動。

仕方ないと我慢するのが一番ネガティブな行動。

どうか自分を大切にしてください。

 

ちなみに3年前にスズメバチに刺されて以来、徒歩数分の所ですがお盆の墓参りもやめてます。命の危険を犯してまでするものでもない。そのぶん、毎日仏壇に手を合わせています。先祖へのリスペクトがあるならそれでいいと思う。

学びを結果に変えるアウトプット大全

 

学びを結果に変えるアウトプット大全 (Sanctuary books)

学びを結果に変えるアウトプット大全 (Sanctuary books)

 

図が多くわかりやすいが持ち運びに不便だと思いKindleにて購入。隙間時間に繰り返し何度も読みたい内容なので電子書籍にして正解。

 

今まで本を読んでも読んでも人生は変わらず、その原因を探すことも諦めかけていたけど、理由は至ってシンプル。完全にアウトプット不足でした。

 

本を読んだだけで安心・満足してしまう僕がこれは絶対にやった方がいいと心から納得し実践している。その第一弾アウトプットがこの書評だ。

人を動かすだけのものがこの本には詰まっている。

 

寝起きの数時間はゴールデンタイム。これはいろんな本に書かれていたが改めて再認識。実践したい。寝起きは必ず何かを書く。今もコーヒーを飲みながらこれを書いている。

 

悪口はネガティブ人生の始まりという項目で、

悪口や批判が多い人は、そうでない人に比べて、認知症になる危険性が3倍も高いことがわかった。

 とあるが、これは恐ろしい指摘。

社会問題にもなっている「くそリプ」を送り続ける人々も最終的には認知症になってしまうのか。散々人を不快にし続けた結果がそうなってしまうとはなんとも哀れ。

 

何気なく見ていたガンダムも1話、1話感想を書くことによって人生が少しずつ変わると考えるといかにアウトプットが重要かが分かる。今度全39話の感想を書くために見直してみよう。これは楽しくなりそうだ。

 

今後は本だけでなく映画、アニメもいちいち感想を書いていこうと思う。

日記も書こう。

アウトプットしないと人生は変わらないのだから。

SNSなどのプロフィールも練り直しだ。

これはわかりやすく実践しやすい良書。おすすめです。

 

作者のビジョン

「予防」をいちばんに考える精神科医として、情報発信を通して、メンタル疾患や自殺者をひとりでも減らす活動をしています。

 本当に素晴らしい。

うつ経験者として、尊敬するミュージシャンを自殺で亡くした者として、僕も何かできることをやっていこうと思う。

 

あれから6年

No Use For A Nameのボーカル、Tonyが亡くなってから6年。

懐かしいという気持ちに全くならないほど、普通に聴いてます。新しい作品が出ないのは残念ですが、今聴いても最高の曲ばかり。

 CDで、MDで、カセットテープで、レコードで、パソコンで、iPodで、Spotifyで、ずっと一緒に旅をしてきましたが、これからも聴き続けるでしょう。

こういうジャンルに偏見が無い人や 興味がありそうな人にはオススメしたりもしています。結構な確率で気に入ってくれます。さすがだね。  

All The Best Songs

All The Best Songs

 

 こちらはベスト盤。

まずはベストから入る人向けに紹介してます。代表曲はほとんど収録してますけど、アルバムとしては聴いてませんね。

 

Hard Rock Bottom

Hard Rock Bottom

 

最高傑作2002年の作品。これを聴いてしっくりこなかったら縁がなかったということでしょう。

 

Spotifyでも聴けますのでまずはこの2枚を聴いてみてください。