内向型の逆襲

念のため言っておきますが、ブログ名がとてつもなくダサいことは認識していますよ

祝ってもらったら素直に喜べる人でありたい

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この年になると誕生日があまり嬉しくない。というかあまり喜べない。
ですが今後は誕生日に限らず、何かしらのお祝いをされた時は、無理してでも喜ぼうと決めました。可能な限り笑顔を返そうと誓いました。忘れないように、その理由も書いておきます。

 

20代の頃はほぼ全員パーティー野郎だったのに、30代40代になると人の誕生日を祝ってもリアクションは薄い。「いや~、もうそんなに喜ぶ年じゃないよ」っていう返事がけっこうな確率で帰ってくる。僕も多分かなりの頻度でそれを言ってきたと思う。

 

でも「おめでとう」って言ってくれてる人の立場からしたら、そんなに喜ぶ年じゃないってことはわかってる。それでも「おめでとう」って思ってくれてる。
生きてて誕生日を迎えたら、めでたいんだよ。自分の寿命や若さが減ったことを呪ってるんじゃなくて、生まれてきたことを祝ってくれてる。それを考えたら「ありがとう」でいいんじゃないかなって思えるようになった。

 

「そんなに喜ぶ年じゃないよ」っていう気持ちと向き合うのは、家に帰って一人でやればいい。態度に出すことじゃないし、口にすることじゃない。

 

「喜ばせたい」とか「祝いたい」とかそういうのは、シンプルな衝動が人をつき動かしているだけだから、その気持ちに対して余計なことを付け加えて返すのって、すごく勿体無い。

 

いろんな人を「誕生日放置フォルダ」に入れてきた。祝っても変な怨念が乗った返事しか返ってこないなら、「この人は放っておこう」ってなっちゃう。自分の性格が悪すぎてイヤになるけど、これが正直な気持ち。その地獄のフォルダから自力で這い出てきた人はいない。

 

お祝い事じゃなくても、反応がいちいちネガティブな人は「次も話そう」とは思わない。会話が広がらないから、面白くない。

 

多分僕も祝ってくれた人たちを、そういう気持ちにさせてきたんだろう。祝いの言葉に対して、呪いの言葉を投げかけてたら、そう思われるのは時間の問題だ。

 

「こんなオレだけど、それでも祝ってくれる人がいるんだ~」って考えたら、素直に「ありがとう」でいい。人それぞれ年齢に対する様々な想いがあるかもしれないけど、余計な言葉を付け加える理由にはならない。

 

今年が最後かもしれないと言い聞かせながら、毎年ばあちゃんの誕生日だけは必ず老人ホームを訪れるようにしてた。コロナの影響で面会禁止になってた時は手紙だけ係の人に渡してもらったけど、それが最後になった。2021年の誕生日はおめでとうを言えなかった。残念だけどこればっかりは仕方ない。寿命だから。

 

おめでとうを言いたい人に言えなくなる瞬間、言われたい人がいなくなる瞬間はどんな人にも必ず訪れる。その瞬間は突然訪れるし、「今回が最後だよ」って絶対に教えてくれない。

 

「あとはお迎えが来るのを待つだけだよ」
「どうせ棺桶に片足突っ込んでるみたいなもんだから」

 

お年寄りはこういうことを言いがち。言いたくなる気持ちもわかる。弱気になる気持ちもわかる。でも言わない方がいい。祝う方もそんなことはわかってるから。わかった上で、祝ってるから。

 

今回が最後かもしれないと思いながら「おめでとう」を言うケースなんてあまりないと思うけど、あの時の「おめでとう」が最後になってしまうケースは決して少なくない。だからこそシンプルに「ありがとう」でいい。

 

おめでとうを誰かに言える人は幸せだし、言ってもらえる人も同じくらい幸せだと思う。そして中年が幸せになるためには余計なことを言うのを止めなければいけない。思うのは自由だが、伝えてはいけない。この段階でそのことに気づけてよかった。多分まだ間に合う。

 

いろんなことを踏まえると、僕の中では「おめでとう」に対する返答は「ありがとう」の一択。せっかくの純粋な気持ちを台無しにするような「そんな年じゃねえよ~」発言は一生封印です。

 

最終的には気持ち悪くて説教くさい文になってしまいましたが、言いたいことが伝わっていれば嬉しいです。最後まで読んでくれてありがとうございました。

 

アイキャッチの画像はダーヤマさんの素材を借りて作っています。
https://jitanda.com/

 

昨日観たのはこれ。モーガンフリーマンの映画にハズレなし。

時間も長くないし、コメディなので観やすいです。