内向型の逆襲

念のため言っておきますが、ブログ名がとてつもなくダサいことは認識していますよ

「甘えるな」は思考停止。そんな言葉を他人に言い放つ人こそ甘えている

「甘えるな」と言われて嬉しい人いますか?

多分99%の人が嬉しくないと思います。

 

「そっかオレは甘えているんだな、明日から甘えないように頑張ろう」

そんな風に考えられる人はほとんどいませんよね。

試しにあなたの友達が何を言っても「甘えるな」で反応してみてください。絶対に縁を切られますよ。それほど不快な言葉です。

 

そして「甘えるな」と誰かに言い放つ時は、その人のことをよく思っていないはず。

好きな人には甘えるなとは言わないですよね。

甘えるな=お前のことが嫌いという意味なんです。

 

言われる方も気分が悪いし、言う側もただ感情を爆発させ思考停止しているだけ。

つまりお互いにとって何のメリットもない言葉で、ただケンカしたいだけなんですよね。

 

最近それに気づいたのですが、「甘えるな」って言葉は、生きて行く上で必要ない言葉だと判断したので封印することにしました。

 

■甘えるなは昭和の概念

「甘えるな」って、昭和の人の典型的な言葉なんですね。昭和の漫画には本当によく出てくる。スポーツ漫画の中では比較的スポ根度の低いキャプテン翼ですら「甘ったれるな源三!」と言って後の名キーパー若林源三を殴るコーチが出てきます。

 

漫画の世界だけでなく、あの時代のコーチとか監督って基本みんなスパルタなんですね。厳しくすれば勝手に成長すると思っている。僕も中高と少しだけ部活を頑張った人間ですが、今みたいに理論とかエビデンスとかで攻めてくる監督・コーチは皆無でした。

 

もちろんあの時代はあのやり方でよかったのかもしれませんが、

「フツー、甘えるなと言われると凹むよね」

「殴ったり、語気を強めても萎縮するだけで何も変わらないよね」

「もっと効率的な教え方あるよね」

 

間違いなくそういう考え方に変わって来ているし、古いやり方が淘汰される時代になりつつあります。

 

ただ昭和は60年以上もあっただけあって根は深く、そんな状況ややり方で育った昭和の残党たちは他人にもその古いやり方を強いるわけです。

「オレが出来たんだからお前も出来るだろう」

よく考えれば滅茶苦茶な理屈ですが、それがまかり通っています。個人的にはそういうのはただの思考停止だと思っています。

 

原因や対策を考えたくないから他人が甘えているということにしたい。教える技術もない。それだけのことなんですよ。他人が甘えているということにした方が楽ですからね。

 

甘えているように見える人にも様々な原因があります。

・勉強不足

・体力的に無理

・向上心がない

・メンタルが弱い

それぞれのケースに応じた対策を考える必要があり、甘えるなで一括処理していると、反感を買うだけで終わってしまいます。

 

若林源三を殴った三上コーチも、論理的に教える技術を持っていない未熟なコーチだったというわけです。

 

自分の中学時代の部活の顧問もやたら殴るやつでした。殴られて「がんばろう」とは思えなかったですね。あまりにも暴力が酷かったので、校長先生に直談判に行きました。そのあと逆上して余計に殴るようになったんですね。ホントあの時代の人って滅茶苦茶ですよ。

不快な思いをさせて、それを乗り越えた者だけを勝者扱い

そういう考え方は終わりにしたいですね。

 

少なくとも自分は自分がされて嫌だったことを仕返しとして他人にしようとは思いません。誰かを断罪して、何かポジティブなものが生まれますか?

それを考えたら甘えるなと言う人こそが自分の思考停止に甘えているということになります。

 

甘えという概念は何かを変えたくないから使うのです。

 

ググレカスと感じた時はチャンス

これくらいのこと自分でネットで調べろ。

ググレカス」も「甘えるな」のネットバージョンかもしれません。

 

確かに人に聞く前にある程度調べておくのは、ネットを使う人間としてのマナーだし、僕は極力人には聞かずに自分で調べます。

それでも全てをググレカスで断罪していては、何も価値は生まれません。

 

「マニュアル読めばわかるだろ」

「ネットで調べれば出てくるだろ」

言いたくなる気持ちもわからないこともないですが、わかりにくいマニュアルやサイトが世の中にはあるのも事実です。

 

ググレカスと言われて、

「ありがとうございます。おかげで目が覚めました。今後はググります」ってなるか?

残念ながらならないですよね。

つまりググレカスも結局は言う側の思考停止なんですよ。

 

携帯機種変更時のLINEの引き継ぎだって誰がやってもできるようになってるけど、それでもできない人がいる。でもそれは甘えではないんですよ。

理解能力が低いとかおっちょこちょいとかいろいろできなかった理由がそこには間違いなくあります。

 

それを断罪するのでなく、そういう人のためにわかりやすい記事を書いたり、動画にして説明したりした人が最終的には評価されています。

現実社会も同じで、甘えるなと断罪する人は評価されません。わかりやすく説明したり、解決方法を示したりする人が評価されるのです。

 

僕の書いた記事の中に、Spotify duoの契約方法を簡単にまとめたものがあるのですが、半年以上経っているのに結構なアクセスがあります。

そこからいくらの収益が生まれているのかわかりませんが、「甘えるな」とか「ググレカス」とか言っていたら間違いなくその収益は生まれていなかったことになります。

 

自分はできた→それをさらにわかりやすく説明しよう

自分はできなかった→それをできるようになる方法を考えよう

価値を生む仕組みはすごくシンプルです。

 

他人を意味もなく断罪する者からは幸せが逃げ、当然お金も逃げていく。だからいつまで経っても他人を断罪し続けるのかもしれません。負のループの極みですね。

 

甘えるなと言われて嬉しいですか?

嬉しくないならそれを他人に言わずに生きていこう。

 

自分がされたら嫌なことを他人にするな。ただそれだけのことなんですよ。