みくり、母の骨折を理由に館山へ逃亡。
2人が離れ離れになりそれぞれの言動を見つめ直します。
みくり、母、やっさん、兄の嫁、この4人での育児に対する世間話。地味ですが、実はかなり重要なシーンです。
子供はいつ産むべきか?という話題。
みくり
じゃあいつ産めばいいんだろう?育児しながら社会参加するタイミングって難しくない?
母
協力しあうしかないんじゃないかな。夫婦や社会や周囲の人間が。
兄の嫁
そこがうまくいかないんですけどね。
協力。一言で言うのは簡単ですが、これがいちばん難しい。ただ一つ言えることは余計なことを言わないこと。それさえできれば負担は軽減されます。ある意味それが最大の協力かもしれません。
だいたい夫婦だけでなく、人間関係が上手くいってないケースって必ず余計なことを言う人がいて、それがネックになっているケースが圧倒的に多い。
当事者に対して外野が余計なことを言わない、言わせない、言いやすい環境を作らない。スタートラインはそこからではないでしょうか。
精密検査を受けた母。異常はなかったが、もし自分が旦那より先に死んでしまった場合のことを考え、旦那を再教育し始める。いい奥さんだなと思います。
最近の世の中を見ていると、昭和・平成の専業主婦制度の弊害がいたるところに噴出しています。
カップラーメンしか作れないおじさん、クレームしか言えないおじさん。自分で何かをしてこなかったからです。
全てを奥さんにやってもらう生活を40年間過ごして、家庭以外でも王様のように振る舞うのが当たり前になっている団塊の世代。第7話でゆりちゃんが言っていた敬意と感謝。これがない人が多いのは決して偶然ではないような気がします。
自分のことは何も出来ないという決定的な欠陥を放置したまま40年も過ごす。その危機管理能力のなさも相当問題ですが、それを可能にしてきた豊かさがあったのも事実。
今や共働きは当たり前、家事育児分担も当たり前、お互いが頑張って頑張り抜いても何も安定しないという地獄のような時代です。繰り返しになりますが、せめて外野が余計なことを言わないでほしい。それだけでほとんどの人が楽に生きていけます。
苦しいとは思いますが、生命がそこに存在しているということは、みんなそれなりに頑張っている証拠。それ以上を外部が求めなくてもいいと僕は思います。
布団を敷きながらの、母とみくりの会話にも令和時代を生きる人に必要な名言が詰まっていました。
みくり
いいね、愛されてて。
母
愛してるわよ。お互いに努力して。
みくり
努力なの?
母
無償の愛なんて注げないわよ。他人なんだし。
運命の相手ってよく言うけど。あたしそういうのいないと思うのよ。
みくり
夢がない。
母
運命の相手にするの。
意志がなきゃ続かないのは。仕事も家庭も同じじゃないかな。
最後のみくりがマンションへ戻ってきたときのシーン。食べ終わった弁当が入っていた容器がきちんと洗っておいてある。これこそが最大の敬意と感謝。
胸キュン展開を期待する若年層から見ると地味な回ですが、これまで耐えることだけを強要されてきた女性からは強烈に支持される神回ではないでしょうか。