他人からのアドバイスって必要ですかね?
「我が道を行け!」「本能のままに生きろ」と無責任に言い放つつもりもありませんが、他人のアドバイスで変われるほど人間は甘くないと最近痛感しています。
自分にとって的確なアドバイスを的確に見極められる人。
それって自分じゃないですか?
もちろんスポーツとかだったら、圧倒的にその道での経験値が上の先輩やコーチのアドバイスが参考になることもありますが、生き方だったり人生だったりそういう確かな答えのないことだと本人にしかわからないことが多すぎて的確なアドバイスはほぼ不可能です。
それがわかっているから、やたらとアドバイスしたがる人をすごく不愉快に感じてしまいます。
今年は帰省の自粛などで平和なお盆休みを過ごしている人も多いと思いますが、帰省なんてまさにこの無駄なアドバイスを受けに行く地獄のようなイベントだと僕は思っています。
子育てのアドバイス
人生のアドバイス
健康のアドバイス
求めてもいない見当違いなアドバイス。これほど不快なものはありません。
時代が違うし、アドバイスする側が現状を全く認識していないことが圧倒的に多い。
そして自分の価値観を押し付けるだけ。それがほとんどのアドバイスの正体です。
だから消耗するのです。
結論から言うと、頭がカチコチの老人が若い人にできるアドバイスなんて何もありません。
今と昔は価値観が違いすぎてアドバイスが何の参考にもなりません。
そもそも誰かに適切なアドバイスできるほど成熟した大人がどれくらいいるのかっていう問題もあります。
帰省して無駄なアドバイスや個人攻撃を受けて、田舎から帰ってきたらさらに消耗している。そんな状態でこれからの人生を戦っていくことなど不可能です。
もしかするとこれを読んでいるあなたの周りには賢者しかいないかもしれません。そうだったら、全てのアドバイスが役に立つはずなのでそれを実行するべきです。それは最高に幸せなことです。
■オレの人生に興味を持たないでくれ
家族や親族の中に必ず一人は余計なお世話をする人がいますよね。
大抵「あなたのためを思って」と言うのですが、全然思っていない。これほど卑怯な言葉はないです。それを言ってしまえば全てが許されると思っている。
見当違いなアドバイスをするくらいなら、オレの人生に興味を持たないでくれ。
冷たいようですが、僕はずっとそう思っています。それがお互いのためなのです。
極論かもしれませんが、興味を持つこと、心配することがそもそも失礼なんですよ。
この人は放っておいても大丈夫。それが信頼というものでそれが一番心地よいのです。
もちろん変わらなければいけないところは誰にでもある。
それに自分で気づいて、努力して実行して変えていくしか道はないんです。
そのために本を読んだりして勉強するのです。
本は賢者の言葉。わずかな出費で好きな時に好きなだけアクセスできる。
残念なことに人には機嫌やタイミングというものがあり、その賢者の言葉が響かない時もある。そういう時は読むのをやめればいいだけ。
聴きたいときだけ耳を傾け、そうじゃない時は耳を傾ける必要はない。本の素晴らしさはそこにあります。
人からのアドバイスにはこれがない。苦痛に思う時も聴き続けなければいけない。自分に合わなくても最後まで情報を処理し続けなければいけない。
だからアドバイスは響かないのです。
そして面白いことに本を読まない人に限ってアドバイスをしたがります。そんな人の言葉が心に届くはずがない。
相手のことを真剣に考え、本気で向き合っているならもしかすると適切なアドバイスができるかもしれない。でもそれは熟練の技術です。それができる親や兄弟なら本当に素晴らしい。
数年ぶりにあった人がその場の思いつきで言ったアドバイスが心に響くわけがない。
だから僕はアドバイスを聞くのをやめたし、言うのもやめました。
変わる人はアドバイスなんかしなくても勝手に変わっていきます。
それを見抜くのが大人です。できない人は他人にアドバイスする資格はないです。
皆様の里帰りが心安らかなものとなるよう祈念しております。