クソリプ防止機能というのが話題になっています。
僕はインターネット上に存在するすべてのコメント欄を閉鎖してほしいと願う1人です。
コメント欄が存在するメリットもあるのかもしれませんが、争いごとを生み出す可能性があるというデメリットが大きすぎると僕は思います。実際に死人も出てますし、紛争も起こってます。
考え方が違う人々同士が議論してもポジティブな結論を見出すことは絶対にない。
コメントする人ってかっとなりやすいタイプの人、もしくはそういう精神状態の人だと僕は分析しています。テンションが高い人は基本的に危ない。
■すでに完成されているものにコメントするのは究極の無駄
毎回10万再生されている動画でも、コメントするのはいつも同じ人。
コメントの内容も同じようなモノ。
その人の足りていないものが浮き彫りになっているだけです。
自分のエゴがむき出しになっているだけです。
コンテンツが良質であればあるほど、コメント欄との差に絶望することも少なくないです。その差は永遠に埋まらないでしょう。
作者が5時間かけて生み出したものと、5秒で書かれたコメントが並列で表示される。それはある意味狂気の世界です。そして蛇足オブ蛇足。
孫さんとか、ティムクックとか、ラリーペイジとか。
意見を表明することはあっても、誰かの意見にわざわざコメントしません。
「いいね」の世界を遥かに超越した世界に住む人は皆そうです。
人生を自分の望む方向に変えた人には、誰かの揚げ足を取っている暇はない。
決して有名人だからコメントしないわけじゃない。自分の人生に尽力しているだけ。
ビルゲイツは自分の息子にインターネットの世界は危険だときちんと警告しているのは有名な話。つまりそういうことですよ。
■プリプリマンはどこへ消えた?
鬼滅の刃20巻で、刃に映った自分の姿を見て絶望するシーンがあります。
その話の終わったところに作者の謝罪のようなものが挿入されていました。
「この刃に映っている姿が逆になっていないとおかしい」
読者から指摘があったのでしょう。
そんな細かい事に気づいて指摘してもその人の人生は変わらないし、絵も修正されない。
なぜそれを指摘するのかって未熟だからですよ。
自分の人生に没頭すれば、細かいことは本当にどうでもよくなります。
キン肉マンなんて、前回いたキャラ(プリプリマン)が次週では別のキャラにすり替わっていることはもはや伝説のネタになっているし、バッファローマンのひげも突然なくなっていた。
そんなことは笑えばいいんですよ。作者のゆでたまご先生もそうおっしゃっている。
ドヤ顏で指摘する事じゃない。指摘しても人生が変わるわけじゃない。
そういうことに気づく事は素晴らしいかもしれないが、その注意力を自分の人生に活かせばいいだけのこと。
粗探しは何も生まないし、揚げ足取りは人間にとって最も不要な機能です。
どこかにコメントを書き込んでも自分の人生は好転しない。
その時間を自分の人生を変える事にそそぐ方が遥かに有意義です。
世の中には自分と違う意見を持つ人しかいません。
その人と争うきっかけになるものを少しでも減らすことが幸せに生きる秘訣だと僕は思います。