今回言いたいことはタイトルの通り。人間はこれが全てです。
若くして達成する人もいるし、来世まで持ち越す人もいる。
不平不満さえ口に出さなければ、圧倒的に幸せな人生と言えます。
こういう社会情勢のせいだけではないですが、不平不満を言う人が増殖しています。
病院でも、スーパーでも、ドラッグストアでも心無いひと言によって、みなが傷ついています。疲れは体ではなく、心からくるものです。
「なんでマスクないの?」
「Switchどこ行ってもないんだけど・・・」
その不機嫌さを店員さんにぶつける力を、足を使って店舗までやってこれる能力を、情報を収集する力に使ってみてはどうでしょうか?
リアルだけでは物足りずネットの世界でも他人に絡みまくる。暇人が増えたせいか、ネットは今まで以上に荒れています。
自分の考え方と違うことの何がそんなに不満なのでしょうか。
違うのは当たり前ですよ。自分と他人は違うんだから。それを同じにしようとするのは、暴力以外の何物でもない。
「あの人は間違ってる、俺様こそが正解だ」
「ほらみろ、オレの発言にはいいねが1000もついているじゃないか」
それが何かしらの価値を生み出してますか?
他人の議論にいいねをつける好戦的な人が1000人集まったところで何か変わりますか?
不毛な議論が増えるだけでしょう。
もう少しで元号が令和に変わって1年になりますが、僕はあるものを平成に置いてきました。それは、SNSに不平不満をつぶやく権利です。
この先2度とSNSに不平不満を書き込むことはないでしょう。
同時にリアルな知り合いとつながっていたツイッターのアカウントも削除しました。
この先誰かしら知り合いの不平不満をネット上で知ることもないでしょう。
毎日が超絶快適です。
この世の中の99%のことは、あなたが怒っても微動だにしない。
むしろ火に油を注ぐケースの方が多い。
それでもあなたは怒りますか?
文句を言いつづけますか?
■修行が足りなかった父親
不平不満を言うことの無意味さを強烈に意識し出したのは、実家に近寄るようになってからです。僕は20歳くらいから、35歳くらいまでの15年間一度も実家に帰っていません。
断絶していたとかではなくて、ただ単純に帰るのが面倒臭かったからです。
いろいろあって実家に帰るようになってその状況に驚愕しました。
父親が朝から晩まで母親を罵倒しつづけるのです。
料理にも文句をつけ、生活スタイルにも文句をつけ、母親は完全に心を閉ざし、笑わない人になってしまいました。
母親にもダメなところはあるのですが、文句を言うこと、不機嫌を表明することでそれは絶対に変わらない。つまり父親側に状況を変える気はないのです。ただ文句を言いたいだけ。当たり散らされて、人間が変わるはずはない。心を閉ざすのも当たり前です。
申し訳ないがそれは死なないと治らないと僕は思っています。
本人たちも思っているでしょう。
そんな人を伴侶に選んだらダメ。
真面目じゃなくてもいいから、優しい人を選ばないと。
友達も同じですよ。
あなたのことでなくても、社会に対して不平不満ばっかり言う人を近くに置いていたら、必ず病みますよ。
ウイルスが収まっても、また他のネタ探してきて不平不満言うのはほぼ確実。
一生戦争モードの軍人は友達リストから削除しましょう。
■遅くとも60歳までには解脱(げだつ)せよ
人生の後半戦に罵倒したり、されたりの毎日が待ってたら嫌ですよね。僕は穏やかに暮らしたいよ。
70歳にもなってお互いに対して敬意を感じてない相手と一緒に暮らさなきゃいけないって・・・そんな地獄がこの世の中にあるのか。僕には耐えられません。
父親は元々文句を言うのが好きな人なんだと思います。長年の仕事から解放されて、抑え込まれていたものが増幅されてしまったのでしょう。
家族の誰かを褒めたことは一度もないし、誰かを応援するとかそういう概念を持っていない。心の成長というものをどこか人生の早い段階で放棄してしまったのでしょう。
ここまで偉そうなことを書いてきましたが、僕も文句を言うことを完全に人生から追放できたわけではありません。修行は今も続いています。
気をぬくとどうしてもそちら側に引っ張られてしまうので、ネガティブな人物と会わないことを徹底しています。
不機嫌を表明する人とは会わない。
愚痴っぽい人の集まる会合に出席しない。
価値観の合わない人とは話さない。
そういう人が集まるネットも見ない。
自粛要請が出る前から僕はこういうことを自粛してます。
悪いウイルスは必ず伝染するからです。
不思議なことに、会わなければ不機嫌になりません。
情報に触れないので、ネット経由で不機嫌になることもありません。
大好きだった皮肉も以前と比べると全然言わなくなりました。言う必要がないからです。
我が家の猫たちと毎日戯れているので常に幸せです。
この人生を手に入れるのに45年もかかりました。
もっと早く解脱できればよかったけど、僕の解脱ポイントはおそらく人生のこの段階だったのでしょう。
■不平を言わない、ただそれだけで手に入れられる幸せ
昔、配達の仕事をしていたころの話。
A「とりあえずなる早で持ってきて」
B「事故に気をつけてゆっくりでいいからね」
やっぱりBの人に早く持って行きたくなるし、そういう人に対しては全力で最短コースを使うんですよね。人間ってそういうものですよ。
Aの人は1分遅れただけで文句を言うし、ネチネチと絡む。
Bの人は「仕事頑張ってね」と栄養ドリンクをくれたりする。
Bの人の家からは幸せのオーラがにじみ出ていました。旦那さんも奥さんも幸せそうな人だった。忘れられません。
不平不満を言わない人を人は応援したくなるもの。文句を言う人はそれだけで圧倒的に不利なハンディキャップを背負ったまま人生を戦うのです。
あなたの幼馴染の可愛かったエミちゃんが、ツイッターで「はい、論破!」ってやってたら幻滅しませんか?
あなたも同じことしてませんか?
あなたが議論に勝利した瞬間、同時に敗北していることに気づいてますか?
全てを我慢して受け入れろというわけではありません。ダメなものはダメです。
文句を言い続けるくらいなら、親族であっても容赦なく縁を切るべきだと僕は考えています。文句を言っても絶対に状況は変わらないが、縁を切れば状況は変わります。
必要なのは忍耐ではなくて、変化です。
お金を比較的持っていて、外車に乗っているような人と知り合う機会が昨年ありましたが、お金を持っていても誰かの文句を口にした瞬間に全てが崩壊することを痛感しました。60歳過ぎて人の文句を言い続けるって悲しいよ。
間違いなくお金に人はついてこないし、お金を持ってなくてさらに人の文句を言い続けるってもう絶望的に可能性がない。
文句を言うという行為を手放すこと。
手放すと決めること。
ただそれだけで圧倒的な幸せを手に入れられます。
お金は一円もかかりません。
現時点で超絶貧乏な人でも実行可能です。
人生が激変するのでオススメです。
僕は今人生の敗者復活戦を歩んでいます。
勝者になれなかったから仕方ない。
若い頃文句を言いつづけて、行動しなかった当然の結果です。
人生は文句を言うか、行動するかの二択です。それ以外はありません。
文句を言った瞬間、参加権利を剥奪される厳しい戦いですが、言わなければいいだけのこと。言わなければ即ちそれは行動につながる。
文句を言っても何も変わらない。
議論しても無意味。
それを強烈に意識しているだけで人生が豊かになります。