内向型の逆襲

念のため言っておきますが、ブログ名がとてつもなくダサいことは認識していますよ

ライブを携帯で撮影している人々の中に真の音楽好きはいない

映画ボヘミアンラプソディーの最後のLIVE AIDのシーン。1985年なので当たり前なのですが、観客の中に誰1人として携帯で撮影している人がいないですよね。

それが観ていて最高に気持ちいいんですよ。みんなが真剣に音楽を聴いているのが伝わってくる。クイーンの演奏も素晴らしいのですが、お客さんの一体感も同じくらい素晴らしい。それがあれだけの感動を生むんじゃないですか?

 

例えばライブが始まるまでの待ち時間、耐えきれずに友達に「これからライブ!」と送る。ライブが始まった頃にその友達から返信が来る。

 

「誰のライブ?」

「〇〇!」

「どこでやってるの」

「埼玉スーパーアリーナ!」

 

そんなやりとりをやっている間に曲は終わってしまうのです。高くないチケット代を無駄にする典型的な行為です。

 

小さい箱でのライブだとよくわかるのですが、お客さんが熱心に聞いてくれているかどうかってものすごく演奏者に伝わっているんですよ。

撮影したり、動画を撮ったりしている人はまず聞いていないです。

人はそんなに多くのことを同時にできる集中力を持ち合わせていませんから。

 

音楽を聴くことに集中する。

そんな簡単なことすらできない。しようとしない。

携帯のせいじゃない。自ら最高の時間を放棄しているのです。

 

ライブハウスに子供を連れてきて、その子供が演奏者の目の前でゲームをやっている。

失礼極まりない話で親も子供もどちらにも問題があるのですが、もうこればっかりは時代なのでどうしようもありません。

 

目の前で行なわれていることにすら集中することができない人間が将来的に何かを成し遂げられるとは思いません。集中力、没頭力のない人は何をやらせてもダメですから。

 

映像を撮って残すということがあまりに身近になりすぎて、そのコンテンツのクオリティにこだわらなくなってきた。そんな気がしています。

 

僕も何度かブレブレの写真をインターネットにアップロードされたことがあります。

「そんな暇があったら肉眼で観て」これが正直な感想です。

明日何も覚えてなくてもいいから、その時その瞬間を肉眼でみてほしい。それだけで満足です。ブレた写真に「いいね」とかいらないから。

 

もちろん時代は変わってますので、適応できるところは適応していきますが、本来ライブってそういうものじゃないですか?

生演奏を体験するってそういうことじゃないですか?