内向的でも堂々と生きていける

主に人間関係や楽な働き方について書きます。少しでも読んだ人が楽になれば嬉しいです。

争いごとに生きがいを感じる人々

クソリプを送る人の心境が全くわからないんですよ。

たまにツイッターを覗いてみて誰かしらがエッジの効いた発言をしている。

それには必ずクソリプがセットになっている。論破してそんなに嬉しいか?

お酒が入っているのかなと思って諦めてますけど、居酒屋での討論と同じくらい全く無意味ですよ。

 

確かに変なことを言う人が多い世の中だけど、それをうっかり見てしまったのは自分。

自分にも責任が全くないわけではない。見なければその「不快感」は生まれなかったのだから。腹が立つなら見なければいいんですよ。

僕はテレビ番組、特にニュースは見ませんよ。腹が立つように編集してあるから。

 

他人の発言を勝手に覗いておいて、それに腹を立て自分と考えが違うからと批判、罵倒する。これを理不尽と言わずして、何を理不尽というのでしょうか。

推測ですけど、正しいことを言う自分に酔っているのではないでしょうか。

 

相手を打ち負かすことに喜びを感じる人いますよね。

「それ違う」を連呼する人。距離を置くべき人ですね。

違わないんですよ、その人はそう思ってるんだから。それはその人にとって真実。それを否定したら、争いしか生まないよ。

 

好戦的な人に僕の言葉は届きません。

彼らは戦うことそのものが好きなんですから。

サイヤ人か!

 

常に勝ちたがる人って結局未熟な人だと思います。

成熟している人は自分の中に不可侵領域を持っているので、何かしらの領域で負けることをなんとも思っていませんよ。

 

■意見なんてただの意見でしかない

意見なんてそもそもその人はそう思っている、ただそれだけのこと。

 

「今日は晴れていて気持ちいいなあ」と誰かが言ったことに対して、

「あそこに雲が出ているよ、晴れてはいない」と言うレベルのやりとり。

 

あの人は晴れていると思っていて、気持ちいいと思っている。

もうそれで完結じゃないですか。

なぜそこに自分のフィルターを通す必要がある。なぜそこに勝ち負けを持ち込む

 

僕はポジティブな人間ではないですが、誰かを否定することに喜びは感じませんね。

そういう時期もありましたが、もう今はそんなことをしても全く意味がないと知りました。否定しても虚しくなるだけですよ。否定は何も生み出さないから。

否定したい時がもしあったとしたら、それはその場を立ち去る時です。

 

人間にとって本当に嬉しい時って人を喜ばせた時ですよ。

誰かに道を教えてあげた時、ほとんどの人が何かしら喜びを感じるはずです。

セックスだってそうでしょう。自分だけ気持ちよくなっても全く意味はない。

 

人を喜ばせることを快楽だと認識しなくなった時、

人をこき下ろすことに快楽を感じるようになった時、

人はクソリプを繰り返す生き物に成り下がってしまうのでしょう。

 

■頭空っぽの方が夢詰め込める

なんだかんだ言っても僕は人を喜ばせたいと思っています。

それが一番精神が安定するからです。

憎んだり、妬んだりすると確実に不健康になる。

クソリプを送り続ける人って病んでるようで実は強靭なメンタルの持ち主だと思います。あれを繰り返せるのですから。

 

意見って人を狂わせる時があるんですよ。

 

ミュージシャンが政治的発言をする弊害はそれだと思うんですよ。

確かに意見はあっていい。ただし音楽で人を喜ばせてきた人、笑顔にしてきた人が論破ワールドに足を踏み込んではいかんなと思います。

残念ながら貴方が一番輝けるのはそこじゃない。

それをすべき人は他にいる、だからあなたにはして欲しくない。せっかくの才能や人を惹きつける魅力をそちらに使ってほしくない。願望としてそう思いますね。

 

正義に燃えている人は、目が怖いんです。

 

自分の意見を主張すればするほど、虚しくなってくる。

議論で人の心は動きませんよ。動くとしてもネガティブな方向。

打ち負かされて喜ぶ人はいませんから。

 

それでも人を打ち負かす道を選ぶなら、それは険しい修羅の道となるでしょう。

 

ドラゴンボールを見ていると孫悟空の「ま、いっか」精神に癒されている自分に気づきました。ハードな戦いと修行の人生ですが彼の無垢でピュアな性格から学ぶべきことは多いです。いよいよベジータとの戦いが始まります。