内向型の逆襲

念のため言っておきますが、ブログ名がとてつもなくダサいことは認識していますよ

なぜ人はネット上でケンカをしたがるのか

 

 

結論からいうと他人が考えていることを、他人のモノとして放置できないからです。そして自分の方が「上」だと信じて見下しているからです。

 

今年は自粛やステイホームでストレスを抱え込んだ人が増えたせいか、余計に争いごとが多かったような気がします。ギスギスしっぱなしの1年でしたね。

 

その争いで幸せになれたのでしょうか?

もしかしたらストレスが増えただけではないですか?

何万円も払って購入したデジタルデバイスを使って、他人の悪口を打ち込むことに虚しさを感じませんか?

 

こんな感じで記事を書いている本人ですら、争いごとが好きな人を放置できていない。それが真実です。

 

■ネット上の出来事は全て天気の報告みたいなもの

 

ドイツの人が言いました。

「今日は晴れている」

 

イギリスの人が言いました。

「今日は雨が降っている」

 

傍観者は言います。

「やっぱり晴れが最高。雨とかありえない」

「晴ればっかりだと、食物は育たない」

「雨が降ってこそ、晴れの良さが引き立つよね」

「ここも雨だよ、ドイツふざけるな」

「ここは晴れてるよ、イギリスざまーみろ」

 

ネット上のケンカは全部これ。

 

それぞれの立場の人がそれぞれの事実を述べる。

そして他者が勝手に個人の怨念を乗せて、争い事へと発展させる。

 

ドイツは晴れていて、イギリスは雨が降っている。

ただそれだけのことなのに、それで人類はケンカをするのです。

 

晴れているならそれでいい、いつかは雨も降るだろう。

雨が降るならそれでいい、そのうち晴れるだろう。

 

その当たり前の真実に気づかず、ただ現状だけを見て争う。

本当に無益だと思います。

 

■全ての発言はハラスメントであり、マウンティングであり、クソリプである

ゲームの攻略みたいな記事を投稿するときも、必ず「超個人的〇〇」という前置きを入れています。僕の記事はいまのところ大丈夫ですが、必ず反論してくる人がいるんですよ。

 

個人的な感想だという前提を無視して、

「いや、これはこうだろう」

「それは違うんだよ。こっちが正解だよ」

 

その人はそのやり方でクリアしたんだからそれでいいだろうと思うのですが、それすら我慢できないようです。自分の信じているものだけが唯一の「正解」なんですね。

 

自分のやり方に異様に執着して、それを他人に押し付ける。

ゲーム攻略系のYOUTUBEのコメント欄はこの世の地獄みたいなとこがあります。

 

他人の発言は全て、ハラスメントであり、マウンティングであり、クソリプである。

そんな風に解釈する人が確かにいるのです。正解に固執するとそうなります。

 

そして「正解」は何かというとその人が思っていることなのです。そういう考え方しかできない人を相手にする価値があるとは思えません。

「そんなの知らんがな」で済ませるのが良いと思います。

 

反論する必要のないことに反応し、無意味な議論をする。

ドイツが晴れていて、イギリスで雨が降っている。そんな些細なことで大げんかをする。そのほとんどはドイツにもイギリスにも関係のない第三者なのです。

 

暇なのか真面目なのかわかりませんが、無駄な議論はなくなりません。残念ながら2021年も繰り返されると思います。

 

■下山のススメ

価値を否定しあい、マウントを取り合う無意味な山登り合戦から僕はとっくに下りました。その頂上には何があるのか。おそらく何もないですよね。

今はソロキャンプの時代。息苦しいので1人になるしかないのもすごくわかります。

 

記事は頑張って毎日投稿しています。何かを否定する記事も中にはありますが、その勢いのまま誰かの投稿にコメントすることはありません。

争いごとを生み出すのがイヤだからです。そんなつもりはなくてもマウンティングだと解釈される可能性もあります。ネットはニュアンスを伝えるのが難しいので争いごとが生まれやすいのです。

 

誰かの意見や考え方に対して、ネガティブな反応はもちろんしませんが、ポジティブな反応もしません。けなすのは簡単ですが、褒めるのは本当に難しいからです。

 

誰かの意見はそこにあり、それは正解なのでどうこうしようとも思わない。自分にとって有益なものや興味のあるものだけを吸収する。今後もこの考えは変わりません。

 

僕の場合は読んだ時に感じたことが全てでそこで完結させる。それを徹底しています。

そうすれば争いごとは起きません。少なくとも僕の方から起こすことはない。それでいいと思っています。

 

今後も発信は続けていきます。もちろん最大限の配慮はします。

それは正解ではないので、それに対する解釈も自由です。でも争ったり、踊らされる価値はないと断言できます。それは本当に無意味なことです。

 

インターネットは晴れているか、雨が降っているかで争っている小さな世界です。

「東京は晴れている」

ほとんどの意見や主張はそんな感じのことだと考えると、議論するのもいいねを求めるのもバカバカしくなりませんか。

 

以上、超個人的ですがネットとの付き合い方で想うことがあったのでまとめてみました。

最後まで読んでくださってありがとうございました。