世の中が不安定になると議論が増えますね。
その議論の先に、明るい未来はあるのでしょうか?
論破して満足して、人生は変わりますか?
もしかして明日も不機嫌なままですか?
基本的に僕はほとんど全ての意見をスルーします。
そもそも不要な意見に触れないように常に気をつけていますが、どうしても触れてしまうことがあります。
自分にとって有益な情報は取り入れますが、そうでないことに腹を立てることはほぼなくなりましたね。これは10年前の自分と比べると大きな進歩です。
ネット上でなにかしらの議論を見かけても、
「あ、この人たちはやりあうのが好きなんだな」
「戦闘が好きなサイヤ人なのかな?」
としか思いません。どちらが正しいとかはどうでもいい。
感情的になって議論している時点で、どちらの意見も聞く必要はない。
街で酔っ払い同士が喧嘩している時、わざわざ双方の意見に耳を傾けますか?
それと同じで、無意味な情報だと判断した瞬間に完全にシャットアウトします。
■みんな違ってみんないい
全ての人の意見が根本的に正しいと僕は思っています。
その人はそう思っているんだから、それがその人からしたら正しいに決まっている。第三者がその真実を変えることは不可能。45年生きてきて出た結論です。
だからそれを変えようとは思わない。面白ければ笑うだけ。面白くなかったらスルーするだけ。意見もしない。
どうしても私を叱って欲しいと懇願すればするかもしれないが、そんな奇妙な人はまずいない。
人は自分が正しいと思っている時こそ、間違った行いをする可能性が高まる。
僕はそう思っています。
絶対的正義を振りかざして、悪事を成す例。挙げればきりがないです。
ガンダムを見ればよくわかる。見なくてもわかる。
若い頃は視野が狭いので自分と違うことを許せないことが多い。
若者は基本的に短気です。そしていい意味で真面目です。
自分と違うというただそれだけのことを許せないのです。今思えば信じられないですが、僕もそうでした。
自分がないから正義みたいな何かしら大きいものによりかかりたい。その気持ちもよくわかる。
でも正義の力で悪をぶちのめしたところで、結局明日も不機嫌なままなんですよ。
誰かを倒して幸せになるのは物語の世界だけで、現実では誰かを倒しても不幸になる可能性が高まるだけ。現状は全く好転しません。
もちろん自分と違う意見を尊重する必要はありません。
ただ、そこに積極的に絡む必要が本当にありますか?
あなたの貴重な時間を浪費して、議論する価値ありますか?
コビディオット問題も収束して欲しいけど、早くネット上の無意味な議論も収束してほしい。