内向的でも堂々と生きていける

主に人間関係について書きます。少しでも読んだ人が楽になれば嬉しいです。

勝手に平成を振り返る 平成六年

平成6年・1994年。

 

2月12日東京25年ぶりに積雪25cm

FIFAW杯アメリカ大会

記録的猛暑

8月31日ジュリアナ東京閉店

9月イチロー200本安打達成

11月セガサターン発売

12月プレイステーション発売

ローラーブレードブーム

 

ロベルト・バッジョがPKをはずしたシーンがあまりにも印象的だったアメリカ大会。のちに「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持つ者だけだ」という哲学的な名言を残すことになる。観ているだけのこちらがプレッシャーを感じるのだから、蹴る方は想像を絶する重圧がかかる。個人的にはPK戦は廃止してほしい。

そしてコロンビアのエスコバル選手のマフィアによる暗殺はサッカー界、負の歴史。

 

イチロー選手の大活躍・大躍進の年。まだ昭和の悪しき伝統や根性論が根強く残るプロ野球界にイチロー選手も入団後は苦労している。それを跳ね除けてのし上がって来た。

 

プロ野球で200本安打を達成する若者もいれば、ジュリアナ東京で扇子片手に夜な夜な腰をくねくねしている若者もいる。

 

■そして雪国へ

大学生は2月から二ヶ月以上の長い春休みを迎える。寮に居座ることもできたが、別料金がかかる。

「一緒にスキー場バイトに行こうぜ」そんなに仲良くない友人に誘われた軽い誘いに乗るだけのフットワークの軽さが当時はあった。

長野県のスキー場で住み込みのバイトをすることにした。

 

新宿駅からあずさに乗り長野へ。まだ新幹線の通ってない時代。

軽いノリで来てしまったが、電車を降りると一面雪景色。とにかく寒い。

宿に着き、バイト部屋へ案内される。すでに来ていたよその大学の人といきなり同じ部屋に寝泊まりすることになる。今なら耐えられないが、当時はそれをなんとも思わなかった。

レンタルスキー店での業務が主な仕事。旅館の仕事の手伝い、雪かきなどの雑用も含まれる。勤務初日に大雪が降り、自分たちのお店に誘導するための雪かきが最初の仕事だったような記憶がある。

 

起きてすぐ雪かきをして、レンタル店の仕事をして、それから念願の朝ごはん。ひと仕事終えた後の食事はとにかく美味しい。しかもまだ朝の8時台、雪国での生活は体にもいい。おそらく人生で一番規則正しく働き、美味しいご飯を食べた時期。

毎回食卓に並ぶ野沢菜がとにかく美味しかった。

スキー場で常に流れていたtrfを聞くとあの頃の野沢菜のことを思い出す。

 

夏に軽井沢で働いた時は主にウェイターとして何かしらのプレッシャーが常にかかる仕事だったが、スキーレンタル店での仕事はそんなに丁寧な接客もいらず、気楽だった。こちらの方が向いているのは間違いない。

バブルは崩壊していてもまだスキー場の勢いはあった頃で、土日は捌き切れないほどの怒涛の来客があった。午前中のラッシュを終えて飲むロイヤルミルクティー。生意気にも充実感なんてものを感じていた。

 

暇な時間帯は旅館ごとに支給されるリフト券を使ってスキーを楽しむこともできた。あまりスキーに興味はなかったが、他にやることはないのでやるしかない。

超初心者の僕は初心者コースを滑ってばかりだったが、徐々に上達してきてスキーが楽しくなり結局のめりこんでしまった。流行し始めたスノーボードを初めてやってみたのもこの頃だ。

 

2月12日東京25年ぶりに積雪25cm

というニュースを積雪1m以上の長野で観たが、「あの程度の雪で」と気持ちは完全に長野県人。若者の適応能力は高い。

 

リゾートバイトのいいこと。それはお金を使う場所と機会がないこと。必然的にお金が貯まる。一度下山し、スキー用具一式を買って再び戻ったが、それ以外にお金を使った記憶はない。二ヶ月でかなりの金額のお金を蓄えることができた。

 

■先輩デビュー

懐も暖かいし、気候も暖かいし、桜は咲き乱れる。

学校が始まり、新入生が入ってくる。

また浮かれた都会での生活が始まった。

 

アパート探しも面倒くさいしもう一年寮で生活することにし、僕は先輩になった。

たいして偉くもないのに一年早く生まれただけでやたら偉そうな態度をとる。僕は比較的優しい部類の先輩だったと思うが、面倒な先輩に当たってしまった後輩たちは悲運としかいいようがない。

 

スキー場でひと冬間過ごし、いろんな大学の人たちと出会う。

その二ヶ月、寮に新しい後輩たちが入ってくる。

昨日まで全く知らなかった人々と怒涛の勢いで出会い、絆を深めてゆく。

もうそんな生活をすることも、する気力もないが、あの頃はそれを不快だと思ったことはない。それを楽しめるだけの懐の深さがあった。

 

イチローブレイク

大学一年時と同じくらい浮かれていたので、社会での出来事はほとんど覚えていない。

ただアイルトンセナの事故死は衝撃的だった。

 

イチローがブレイクしたのがこの1994年。まだ細くて純情少年の香りのするヤングイチローがこれから野球の記録を全て塗り替えていくことになる。

ちなみにこの年の7月に大谷翔平選手が生まれている。

 

■プレステ・セガサターン発売

4月ファイナルファンタジー6発売

11月スーパードンキーコング発売

 

リアルタイムではプレイしなかったが、スーファミ屈指の名作がさりげなく発売されている。

 

この年の11月にセガサターンが発売、12月にプレイステーションが発売。

僕が浮かれている間にゲーム機はどんどん進化していく。

 

GREENDAYの衝撃

1994年の5月、AEROSMITHの武道館公演を観に行った。

 

名作GET A GRIPのツアーで一番脂が乗っていた頃。

ティーブンタイラーの動きもキレがあった。

 

ロック好きな友人も増え、バンド系サークルにもいつの間にか所属し、音楽活動もそれなりにやるようになった。ただそのほかの誘惑があまりにも多く、本腰を入れるようになるのに時間はかかった。

 

サークルの友人の作ってくれたテープに入っていたGREENDAYに衝撃を受けた。こんなにポップで激しい音楽が世の中には存在していた。

 

■リゾートバイトマン

1993年夏 軽井沢

1994年冬 長野

1994年夏 箱根

普段はバイトをせず、長期休みにリゾートバイトをするというリズムがいつのまにか出来上がっていた。それが心地よかった。

 

都会では居酒屋でバイトをやってみたが、数ヶ月で辞めてしまった。

「辞めるときに次のバイトを紹介すること」という謎の決まりがあったが、僕は守らなかった。

自分が嫌だから辞めるのに、それをほかの人に押し付けるなんてありえない。

「そんなことじゃ社会で生きていけないよ」と叱責された。

今では考えられないことがあらゆるところに散在していた時代。