内向型の逆襲

念のため言っておきますが、ブログ名がとてつもなくダサいことは認識していますよ

その「顔出し」本当に必要ですか?後編

 

前回の記事の続きです。

 

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プロフィールが断片的だからこそ作品に興味を持つ

よく考えてみれば、僕は鳥山明先生の顔を知らない。アラレちゃん→ドラゴンボールドラクエともう40年近く作品に触れてますが、男性で名古屋の人ということしか知らない。(今さら鳥山先生の顔を知りたいと思わないし、興味もない。今までどおりを貫いてほしい)

 

もうそこに今回の記事の答えがあるんじゃないかなと思ってます。

「神」は顔出ししてません。

 

コンテンツに自信があれば顔なんか出さなくていいし、顔を出したせいでややこしくなってる人もけっこう見かけます。そこの情報は断片的でいいんですよ。「どんな人なんだろう?」と想像する楽しみを自ら奪っているような気がしますね。

 

リアルだと見た目6割・コンテンツ4割くらいで判断してもらえますが、ネットの場合はコンテンツ8割・見た目2割くらいじゃないかな。

やっぱりネットはコンテンツありきですよ。コンテンツが充実して初めて顔に興味を持ってもらえたり、親近感を抱いてもらえたりするような気がします。

 

ゲーム実況のYoutuberは、顔を出していない人の方が圧倒的に面白い。

編集が上手な人はまず顔を出さない。忙しくてそんな時間がないし、必要性もないからです。

 

イケメン・美女・変顔を売りにしている人、それをサムネにしている人はまず観ない。なぜならそこに頼っている時点で、低品質コンテンツである確率が高いから。イケメンサムネは「面白いこと言いません」という意味です。

 

福山雅治さんみたいに、顔もしゃべりも良い人ってあまりいない。

大谷選手みたいに、打って投げられる人って多くない。

両立って本当に難しいんです。

 

顔に力を入れると、その他のコンテンツがおろそかになる。人の時間や集中力に限りがある以上それは避けられません。両立できるのは一握りの選ばれた人だけです。

※企業系は除きます。あくまでも個人系の話です

 

磨くのは顔じゃなくてセンスと知性

僕の場合は、顔の代わりに言葉遣いと語彙を含めた会話のセンスでコンテンツを判断しています。声のトーンもけっこう重要ですね。

 

「容易」っていう漢字が読めなかった実況の人・・・

その語彙で何を実況するの?何を表現できるの?

申し訳ないけど、その瞬間視聴やめました。その人の話聞いても得るものないからね。

 

見た目なんかどうでもいいから、面白い(頭がいい)人の解説やトークを聞いていたい。求めるものはただそれだけです。

 

作ろうとしているコンテンツに価値があるなら、顔なんか出さなくていいのです。そして自分の作品の価値を高めたいなら、やっぱり最低限の勉強は必要でしょう。

 

顔出さなくても視聴者は増やせるし、読者数も増やせる。

たとえ増えなくても誰かに突き刺さるモノは作れる。

それを追求することが「面白いインターネット」を作るのではないでしょうか。

 

顔に頼るっていう安易な発想はコンテンツを面白くしない。

それが僕の中での結論です。

 

暴論を最後まで読んでくれてありがとうございました。