内向型の逆襲

念のため言っておきますが、ブログ名がとてつもなくダサいことは認識していますよ

その「顔出し」本当に必要ですか?前編

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今回は偏見度100%の記事です。

 

一般的には動画でも記事でも、信頼を得るために顔を出した方が良いとされています。

まあ、どんな人なのか手っ取り早くわかりますからね。

 

ただ僕の中では「顔出し」してると動画や記事の信憑性が下がります。

サムネに人の顔があったら、観たくなくなります。なんか主張が強すぎてイヤなんですよ。

 

「この動画にあなたの顔必要ですか」って思っちゃう。

ほんと、面倒臭い奴でゴメン。

 

信頼という意味では、声だけで十分。声や喋り方で必要な人柄は伝わります。もっと言えば、文字だけの無機質な記事であっても顔以上にその「人間」が伝わってくることも少なくありません。

 

もし仮に顔で信頼を得たとしても、コンテンツの質には直結しません。顔とコンテンツの質は完全に別物。悲しいけどこれが現実です。

 

Youtubeが飽和しているのも、不必要に顔を出しすぎたからじゃないですかね?

現状は完全に供給過多。顔はそこまで求められていないです。

 

「顔出し」している人に不信感を感じる理由

三鷹市に住むジブリ好きの女性100人に、画面右下にずっと監督のワイプが出ている「天空の城ラピュタ」を見せたところ、100人の女性が気になって楽しめなかったと回答しました。

 

もちろんこれは冗談ですが、それと同じことをやっている人が少なくない。

顔出さなくても、良いモノは良いんですよ。

 

「女性顔出し実況」をタイトルにつけている人を見かけたことがありますが、僕的には面白いコンテンツを作る姿勢のなさしか感じられませんでした。

でもそれをわざわざ書くのは、「女性」「顔出し」で釣られる男性がいるからなんでしょう。そこに頼っている限り、それ以上の作品は出来上がってきませんよね。

 

現実として、顔なんか出さなくても、面白いこと言っていれば視聴数は伸びるし、顔出ししてもコンテンツがダメなら視聴時間は稼げない。それはやっている本人が一番わかっていると思います。

 

僕はYoutubeはやっていませんが、結構な頻度で記事を執筆しています。肩書きがクソでも、面白ければ読んでもらえるし、面白くなければ読んでもらえない。その残酷な事実が気持ち良くて、そこにやりがいを感じてたりもします。

 

コンテンツを必死に磨いてたら、顔に頼るって発想は出てこない。

そこで無駄に評価を得てしまうと、あとは堕ちていくだけです。

 

長くなったので、次回に続きます。