前回の続きです。
2011年 TwitterとYoutubeデビューするおっさん
この年、僕はYoutubeを始めました。
ちょっとしたスタジオライブをするようになり、それを配信する場所が欲しかったからです。
Macに付属していたiMovieを使い動画編集。それをネットにアップしては悦に入るという作業を繰り返しました。Appleの方々には大変申し訳ないけど、とにかくiMovieは使いにくい。フォントのサイズ変更とかそういう地味な操作が絶望的に不便です。無料なので仕方ないですが、本気で動画編集やるならそれなりのソフトが必須だと思い知らされました。
少し話が逸れましたが、動画をアップする作業は楽しかった。音楽も動画も同じですが「編集」という作業が好きなので、僕自身が地味な作業を繰り返すことに向いていたのだと思います。
前にも同じようなことを書きましたが、動画の再生数はほぼゼロです。今もその動画は残っていますが、確認する勇気はないですね。最近ネット内の断捨離がマイブームなので、そろそろこの誰も見ない動画も消そうと思っています。必死にやったライブをアップした動画なので、別に黒歴史というわけではないのですが・・・やるべきことを減らして人生をシンプルにしたいという想いが最近は強いですね。
それにしてもYoutubeがここまで大きくなることは全く想定外でした。初期の頃は、素人がなんか変なことを投稿してるだけのイメージしかなかったのですが、今や中学生のなりたい職業ランキング上位ですからね。時代は変わりました。
個人的にはユーチューバードリームはおススメしません。再生数を稼ぐ力よりも、まともなモラルを身につけた方が最終的には絶対に幸福になります。
こちらはYoutubeほどはのめり込みませんでしたが、それなりにツイッターの春を謳歌しました。
今も昔もそんなに変わっていませんが、僕は人の本音にあまり触れたくない人間です。それもあってネット初期も2chみたいなサイトは全く読まなかったし、検索でそういう悪意が溜まるサイトに流れ着いたらブラウザバックしてました。そんな人間がツイッターを楽しめるはずがないですよね。
悪意の掃き溜めとまでは言いませんが、ツイッターは僕にとって快適な場所ではないことだけは確かです。
この頃にFacebookが出てくるのですが、あの時点で絶対にやらないと決意しましたね。なぜなら僕が確実にマウントされる側の人間だったからです。わざわざネットにつないでまで惨めな想いをする意味が全くわからなかった。
なんでいまさら昔の同級生とつながる必要があるの?
配慮のない人にマウントされるだけでしょう?
昔の同級生と恋が芽生える予感でもしたのか?
そんな思いがあったし、逆に僕がマウントできる立場の人間だったとしても、マウントしすぎて嫌われて終わっていたでしょう。どっちにしても惨めな結末しか待ってなかったような気がします。
同級生はあの時のまま、時計を止めておくのが正解です。
街で偶然会うから、面白いわけですし・・・
諸事情からデビューすら許されなかったFacebook、僕の性格上今後もデビューはなさそうです。
気がつけばSNSが爆発的に流行し始めてから10年以上経ちますが、上手に楽しく付き合うのは難しいですね。
2012年 Shareよりも大切なことに気づくおっさん
例えば、女性と食事に行ったとします。
その女性が食べた食事を写真に撮ってSNSにアップ。
そこには「美味しかった。ありがとう」というメッセージが・・・
僕はそういう心理を理解できない人間です。
SNSが流行り始めた頃からずっと考えていることなのですが、
僕の人生で重要なのは「SHARE」よりも「TASTE」です。
喜びや楽しみを他人に共感してもらうよりも、自分で味わった方がいい。これが僕の根本にある考え方。味わい尽くしてそれでもこぼれるようなら、そのこぼれた分だけShareすれば良いと僕は常々考えています。
シェアすることで失っている大切なことに気づいてほしい。
例えば綺麗な夕日があったとして、それを写真に撮って一言添えてアップするとします。夕日を本気で見たことがある人はわかると思いますが、空の色、雲の形、光の反射具合などが刻一刻と変化していきます。それは本当に美しい。
その貴重な瞬間を見逃してまで、誰かに伝える価値はあるのか?
僕はあるとは思えません。
Taste=味わうって、もはや才能ですよ。
映画とかライブ行ってもずっと携帯チェックしてる人いますよね。あれは本当にもったいない。
僕がどれだけ綺麗な景色を味わったところで、フォロワー数は増えないし、再生数も増えない。Tasteという行為は実に地味な作業です。でもそれは僕を果てしなく豊かな気持ちにさせてくれる。
それに比べて、Shareは派手です。だから若者は魅了される。
バズれば人気者になれるかもしれないし、フォロワーも増えるかもしれない。承認されれば自尊心も満たせるし、下手すればお金だって稼げちゃう。非常にわかりやすいです。
でもそれが目的になっている人があまりにも多く、消耗している人が増えすぎて今の殺伐とした状況を作っています。「ネット断ち」や「ネット断捨離」という言葉も出てきました。実際、ネットで人と繋がらないとかなり快適なので、そういう概念が生まれるのも理解できます。
強制することではないですが、味わった方が楽しいと思うんですよね。
景色も食事も人間関係も。
長い文章を最後まで読んでくれてありがとうございました。
次回に続きます。