内向的でも堂々と生きていける

主に人間関係や楽な働き方について書きます。少しでも読んだ人が楽になれば嬉しいです。

語彙を増やすことを拒否する人々のために映画の質を下げる必要はない

僕のワンダフル・ライフという映画を見た。動物の輪廻転生がテーマの映画でなかなか良い話。動物好きな人はきっと泣くと思います。

 

 

しかし唯一残念なのがこのタイトル。なんとかならなかったのかなと思う。

正式なタイトルはA Dog’s Purpose、犬の目的という意味。確かに地味ですが、そのタイトル通りのストーリーで観れば納得する。A Dog’s Purposeというタイトル以外ありえないと思えてきます。

 

ワンダフルライフも犬とワンをかけた安易なダジャレ感が作品の価値を少しだけ下げているような気がしました。人に勧められたから観たけど、レンタル店で目撃した時に観たくなるタイトルではない気がします。

 

子供向けにタイトルをアレンジしないと見てもらえないのでしょうか?

十分に誰にでも分かるように作られている作品ですが、それをさらに子供向けに直す必要ありますか?対象年齢を5歳くらいに引き下げているように僕は感じました。

 

■字幕製作者の苦悩

吹き替え版は別の作品だと思っているので、字幕版しか観ませんが、その肝心の字幕があまりにも幼く、大事なことをカットしていることが決して少なくないです。

「もっといいこと言ってるよ」

「なぜそこを省いた」

この映画は違いましたが、あれは本当にガッカリします。

 

もちろん字幕を作る側の苦悩もある。決して難解にしてはいけないと思います。

「意味わかんなかったー」と言われるのが映画を作った側からしたらもっとも悲しいことですから。

 

ただ、ある程度物事を理解していないと楽しめない娯楽も世の中には確かに存在します。

理解力の低い人のために字幕のレベルを下げているとしたら、それは映画という文化に対してかなり失礼だと思います。

 

そもそもこの時代、理解力の低い人や深みを味わえない人は映画を観ないですよ。

見ても楽しめないから他の娯楽、例えば渋谷の交差点のど真ん中にベッドを置くようなYoutube観てますよ。そんな人たちにために映画のレベルを下げる必要はないと僕は思います。

 

■言葉あっての文化

その状況を表す最適な言葉がある。それを堂々と字幕に使う。もし分からなければ視聴者側が分かるよう努力する。(努力と言ってもWikipediaで調べる程度のこと)

そういう社会にしたほうが僕は健全な文化が育つと思います。

 

下のレベルに迎合していてはどちらにとってもいいことはない。

「誰でもわかる」を追求すると最終的には低俗になってしまい、その結果愚劣なYoutuberが蔓延ってしまったのです。

 

キン肉マンドラゴンボール、ワンピース、いつの時代も漫画の中で出会う新しい言葉が少年たちの成長を促してきた。その言葉が完璧にフィットするから作者はその言葉を使ったのです。

作者が階段を降りて僕たちのレベルに合わせてくれるのではなく、僕たちが作者の作った階段を上った。その結果少年たちは大人になった。

 

言葉が分からなければ調べるのは当然のこと。

仮に分からなくても何度も出てくるからそのうち意味がわかってくる。言葉の習得ってそんなものじゃないですか?

 

語彙を増やすことを拒否してきた人のために映画の字幕・漫画のセリフの質を下げる。

それはせっかく作り上げてきた文化を破壊することだと僕は思います。