昨日は3月9日、サンキューということで感謝の日らしいです。
「そんなの言われなくてもしてるわ」
その気持ちを封印して、素直に「おおそうか、ありがとな」と言えるようになった時が大人になった時なのでしょう。
感謝というのは自発的にするもので、人に言われてするものではありません。
つまり感謝という概念がない人は一生しません。
未だに昭和マインドど真ん中のうちの父は、「ありがとう」や「ごめんなさい」を決して口にしません。照れくさいとかそういう次元じゃないんですよね。
そういう概念が本当に頭の中にないのです。
「ありがとう」や「ごめんなさい」を普通に言える人が少ない60代、70代。ただそれだけでその人の株は上がります。
簡単なことなのですが、それができない人にとっては難しいことのようです。
「ありがとう」や「ごめんなさい」を敗北だと思っているのでしょう。
■それは「ラッキー」ではないよ
本来ありがとうと言うべきところで「ラッキー」と口走ってしまう人をたまに見かけます。
例えばサッカーの試合でめちゃくちゃいいパスが自分のところにやって来たので、それを豪快に蹴り込みゴールを決めた。
これはラッキーでしょうか?
サッカーの試合を見てるとわかるのですが、そのパスを出した人間をゴールした人間が必ず称えます。
「君のパスが最高だった。だから僕はゴールできた」
画面から伝わって来て、こっちまで嬉しくなる。サッカーで最も美しい瞬間です。
これをラッキーと解釈する人が世の中には少なからずいるのです。
自分が打ったシュートがゴールポストに当たって、それがまた自分の前に跳ね返って来た。これが本当のラッキーですよ。
仕事関係で多いのですが、
・周りが頑張って終わらせたから早く帰ることができる
・誰かが業績を上げたことで自分も評価された
そう言う周りの頑張りに気づかずにそれをラッキーという「運要素」に変えてしまうこと。確実に評価を下げます。
「今日は早く帰れる。ラッキー」その陰に必ず頑張っている人がいるのです。
早く帰れることに運要素はありませんよ。
その人の中には「早く帰れる」と「早く帰れない」の二択しかなく、その50%の「早く帰れる」を引き当てた時ラッキーという言葉が出てくるのでしょうか。
仕事ではない日常でもよくあります。
「今日はすき焼きだ、ラッキー!」
お母さんがスーパーに行ってネギや牛肉を買って来てくれたからすき焼きが食べられるのです。どうしても自分の感情を追加したいならこの場合は、
「今日はすき焼きだ、やったー!」でしょうね。
もっとも極端な例ですが、
「今日ご飯ご馳走するよ」
「え、本当ですか。ラッキー」
これを普通にやってしまうことは本当に恐ろしく、一瞬にして相手を不快にしてしまいます。
僕だったらその瞬間キャンセルですね。
「え、本当ですか。やったー!」を普通に使える人。
永遠に食べることには困らないでしょう。
「ありがとう」と「ラッキー」の使い分けはテストに出るほど重要なことなのです。そのテストは人生が終わるまで繰り返されます。
ほとんどの場合「ありがとう」が正解で、シュートがゴールポストに当たって自分の前に跳ね返ってきた場合のみ「ラッキー」が正解です。
■思考停止してありがとうを使っておけば大丈夫
かなり乱暴な言い方になりますが、安易に「ラッキー」を使わずとりあえず「ありがとう」を使っておけば間違いないと僕は確信しています。
ほとんどのケースで何かしら人の努力や行動が絡んでいます。もしかするとブラックな労働かもしれません。
それに気づける人は自然とありがとうという言葉を使います。口から出てきます。
運要素であること、純粋にラッキーなケースは本当に少ないのです。
全てをラッキーで片付けてしまう人からは真の思いやりや感謝は生まれない。
「ラッキー」は運を遠ざけてしまう危険な言葉でもあります。
人に向かって言う言葉ではないですね。
ありがとうは魔法の言葉。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。