内向型の逆襲

念のため言っておきますが、ブログ名がとてつもなくダサいことは認識していますよ

そろそろ集団で花見する文化やめませんか?

エイプリル・フールはスルー。

アレに乗っかる人、チープな印象しか受けない。フール認定されるだけ。日本の騒ぐだけハロウィンと一緒で滅んでほしい文化の1つ。

 

■花を見てないから自粛要請が出るのも当然

花見の文化は奈良時代の貴族が始めて、武士が拡散、そして庶民に広まったらしい。その庶民の末裔がイベントの価値を貶めた。貴族と武士だけで楽しんでいればよかったんです。

 

花を見ながら酒を飲んで騒ぎたい。もうそれ一種の病気です。

予定合わせに神経すり減らして、場所取りで誰かと揉めて、騒ぎ過ぎて周囲に白い目で見られて、飲み過ぎて吐く輩とか出てきて、後片付けをするしないで仲間内で喧嘩になって・・・

そのイベント本当に楽しいですか?

 

ウチの駐車場の桜が綺麗に咲いています。やっぱり見上げて眺めてしまうんですよ。そして様々なことに想いを馳せておセンチになってみたりもする。桜はいいものです。

 

こんな美しいモノを見ながら集団で酒を飲みたがる心理がよくわからない。

一人で飲むのならいい。そこには桜を眺める余地があるから。

酒飲んで騒ぎたいだけなら、そこに花必要ですか?

 

集団で集まって酒を飲むと必然的に誰かが喋りだす。その話を聞かなければいけない。きちんと聞くためには話をしている人の顔を見る。その繰り返し。いつ桜を見るのですか?

 

話を無視して桜を見ていたとしても、「桜なんか見てんじゃねえ。オレを見ろ!」と喚く上司や先輩が出てくる。

なぜ綺麗なものの真下でわざわざ綺麗じゃないものを見なければいけないのか。本末転倒にも程がある。こんな人は絶対に花見に呼んではいけないし、そういう集いに参加しても自分にとってプラスにはならない。

 

■花見は自粛すべきではない、一人で堪能すればそれでいい

酒なんか飲まなくても、一人で桜を愛でればそれでいい。それで本来の花見は完結します。毎年毎年そう思うのですが、自粛要請が出ている今年は特にその気持ちが強い。

 

どうしても酔いたいのなら、一人で何かを楽しむというその崇高な行為に酔えばいい。自分に酔ってしまえば、誰にも迷惑はかからない。遠い目をして桜を眺めるのもいいものです。人間を遠い目で眺めるのはダメですが、桜なら許容してもらえるでしょう。

 

そもそも集まって騒ぐからイベントそのものに自粛要請が出るのです。

今までいろんな場所に住んできましたが、家から歩いて行ける範囲内のどこかしらに桜の木はありました。日本ってみんなそうじゃないですか?

その桜並木を歩きながら、眺める。片道で満足できなければ一往復、それでも満足できなければ二往復。長くても30分で終わる。そんな花見なら自粛要請は出ないでしょう。

 

わざわざ桜の名所まで出向かなくても、桜の木が1本あれば心掛け1つで花見は楽しめますよ。

 

桜が最も美しいのは1人で眺める時です。

これはもうそうなんだから説明のしようがない。その感性が育ってないから、集団で騒ぐのです。

 

もちろん僕にも集団でウェーウェー騒いでいた時期はありました。だからこそあれは花見じゃないと断言できる。浮かれ気分で女の子たちと見ていた桜よりも今の桜の方が綺麗です。花をしっかりと見てるから。

 

集団で騒ぎたいだけなら、花見という言葉はふさわしくない。

美しく散っていく花に失礼です。花見という文化を作り出した貴族にも。

 

酒と他人なしでは、花を楽しめないってかなり寂しいこと。

花見に限らず、あらゆる文化は1人で楽しめる方が絶対に豊かだと僕は思います。

 

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