内向型の逆襲

念のため言っておきますが、ブログ名がとてつもなくダサいことは認識していますよ

平成を振り返る・PCインターネット編その2

ブログというものがネット上に登場したのは海外では1999年。まだブロードバンドが普及する前のことです。テキストデータのみを送受信し、言葉や感情のやりとりをするブログ。大容量のデータのやりとりができない時代に生まれるのはある意味必然かもしれません。

 

日本でブログ元年と言われているのは2004年らしいです。流行り始めてからもう15年も経つんですね。平成の半分はブログとともにあったということになります。

 

そしてTwitterが登場したのが2006年。日本語版が登場し普及したのが2008年、Facebook日本版もこの頃登場。

この頃世間ではmixi(2004年サービス開始)が大ブームでした。個人的にはあしあと機能が気持ち悪すぎるという印象でしたが、15年後の現在は「いいね」「クソリプ」「さらしRT」など様々なあしあとがネット上に存在し、人間を闇の世界に誘い続けます。

 

■公開してみて気づいたこと

他人の私生活を覗く、他人に私生活を公開する歴史も15年ほどになります。

平成のちょうど半分でキリもいいですし、私生活公開元年を2004年としましょうか。

 

僕は私生活を公開しませんでしたが、代わりに音源を公開することに熱中していました。

まさに私生活公開元年から二年あたりの頃、相次いで様々な音楽系SNSに登録し、音源を公開しました。

 

Myspace

・PureVolume

Audioleaf

 

今思えば効果があったかどうかは謎です。音源を買ってもらえたこともあったのでそれはありがたいことですが、かけた労力や使ったエネルギーを考えると効果はほぼゼロに等しいですね。完全に自己満足でした。

 

音楽を通じて人とコミュニケーションを図りたいのならばそれでいいのですが、僕はそうじゃない。他人に声をかけた時間だけ消耗していきましたね。

興味のない人に興味を持ってもらうことの難しさを痛感した時代です。

 

僕は人の評価ではなくて自分が良い音楽を作り上げたという強烈な思い込み(勘違い)が自分のエネルギーになるタイプの人間です。

 

人の評価ばかり求めていたダサくて痛いヤツ。

2004年頃の自分を表現するとそんな感じになるのでしょうか。

 

■PCを触った時間よりもギターを触った時間の方が重要

音楽の機材にかなりの金額を投入し、録音のためにPCも買い替え、録音専用のハードとソフト(Protools)を導入したのが、私生活公開三年(2006年)のことでした。

今思えばこれだけが有効な投資だったような気がしています。

 

録音にかけた時間や、それで身につけた技術や知識は今も生きています。

イベントの音響を頼まれたり、時々お金を産んだりもしています。

 

ウェブサイトを作ったり、音楽系SNSに登録したり、そちらで身につけた技術や知識は全然お金になりません。黒歴史とまでは言いませんが、してもしなくてもどちらでもよかったのかなと今は思います。回り道をしないと目的地にはたどり着けないこともあるということにしておきましょう。

 

Youtubeが変えたもの

2005年のYoutubeの登場。これがネットの歴史の中ではかなり大きい出来事ではないでしょうか?

アーティストも積極的にYoutubeに自分のMVをアップロードしてます。昔のようにMVをみるためにMTVやSSTVに加入する必要はなくなりました。

 

メール・LINE・ツイッター等にリンクを貼って他人に送るだけという共有のしやすさもそのメリット。「マイケルジャクソンのスリラーのビデオ面白いから観てよ」と誰かにビデオテープを貸したりしていた時代からは想像もできない手軽さです。

 

リアルタイム視聴前提のTVというものがいかに時代遅れであるかYoutubeが証明しました。いつでも見たい時に観れる。これに勝るものはありません。

その後動画視聴サービスが続々と登場。ビデオオンデマンドに一度触れるとバカらしくてTVには戻れません。

 

音楽流通もいつのまにかストリーム再生が主流。僕は今年まだ一枚もCDを買っていません。それは2004年当時には全く想像できないこと。この15年で大きく変わりました。

 

■抗えない時代の流れの中で貫くべきこと

ネットは変化していきます。抗えず従うしかないケースも多々あります。

自分はどうありたいかを考えた時に出た結論は、

「良いものを作りたい」というシンプルな想いです。

それだけが時間の経過に耐えられます。

 

ネットを駆使してプロモーション技術のみを磨きあげる、それも良いのですがその限界は見えています。

中身が伴っていないものをプロモーションする悲劇を数多く見てきました。小手先の技術はしょせん小手先の技術にしかなりえないのです。

 

太い木になるためには大きな根を張らなければいけません。

「綺麗な花を咲かせたい」誰もが思うことですが、やはりそのためには地味で誰にも評価されないことを愚直に続けることも重要なのではないかと改めて思い直しています。