内向型の逆襲

念のため言っておきますが、ブログ名がとてつもなくダサいことは認識していますよ

そもそも言論の自由って何?

サッカー本田選手の

言論の自由を履き違えて人を故意的に傷つける言論は、実は暴力かそれ以上に問題」という発言。

 

彼はサッカー選手としてずっと他人からの批判と戦ってきたと思います。いわゆる言葉の暴力を彼は結果を出すことではねのけてきた。それができる男だった。

残念ながらほとんどの人はそこまで強くない。

批判をするのは簡単だが、それに打ち勝つのは容易ではない。

 

ほとんどの人が今回の本田選手の意見に賛同するでしょう。

その人たちは案外自分も同じようなことをやっていることになかなか気づかない。

 

昨年のワールドカップで日本がギリギリで予選リーグ勝ち上がりを決めた時、散々批判していた人たち。あの人たちはどこへ行ったのでしょうか。

あんなのはサッカーの世界では当たり前なのに感情的になり、暴力的な言葉を吐き出してしまう。人は自分のことは見えないし、見ようともしない。

その一方で人の批判は平気でする。

 

本田選手はそういう人たちのこともひっくるめて言っているのです。

 

■言葉の暴力ではなく言葉そのものが暴力

ネット上の2chというもの、今でもあるのですか?

もちろんどういうものかは知っていますが僕は見ません。検索で運悪くたどり着いてしまったらすぐに退出します。闇に引っ張られたくないからです。

 

アマゾンのレビューも、Youtubeのコメント欄も、ツイッターのリプ欄も、いたるところで暴力的な言葉がみられます。あの人たちは罵り合うために生まれてきたのでしょうか。満たされてない人たちなんだなとしか僕は思いません。

 

インターネットが普及して約20年。

せっかくの文明も未熟な人たちの手によって歪められてきました。

 

正しいことを言おうとする人たちが、暴力的な言葉で正義を主張している

 

僕にはそうとしか見えません。

主張すればするほど本来の正しさから遠ざかっていく。

 

そもそも言論の自由なんてものは存在しない。

もっと物事を考えないと、自由に言えばいうほど自分が不幸になっていく。

 

■人間は言葉に頼り過ぎ

僕は元巨人・ヤンキース松井秀喜選手と同い年なのですが、彼の現役時代にうちの母が、「同い年の松井秀喜は年に一億円以上稼いでいるが、あんたはどれだけもらうのか」

と言ってきたことがあります。

 

特に悪気もなく、思いついたことを口走っただけでしょう。

当時の僕の月収は彼の1打席分の価値もなかったんじゃないかな。

それは僕が自虐的に言うから面白いことであって、他人に向けて言うことではないと僕は思いますね。他人にはその人なりの事情がある。

 

傷つけようという意図はなかったと信じていますが、言葉のセンスがない。

悪気はなかったとしても、余計はことは言わない。言葉の選択に才能や配慮がないのなら、それしか解決方法はありません。

 

田舎に帰ってから数年間は身内と思える人たちの心ない言葉に何度も不快な思いをしました。

人と話をするなら、もっと楽しい話題にしようと僕は思うのですが、なぜかあの人たちは何も盛り上がらないこと確定のつまらない話題を振ってくる。

 

鈍感になれとよく言いますが、その前に余計なことを言わないようになってほしいなと僕は思います。

 

思うのは本当に自由です。何を思ってもかまいません。

言論ではなく思想は自由。

それを言葉にしたところから小さな不幸が始まる。

とにかく人類は「何も言わない」ということを学んでほしい。

 

沈黙 イズ ジャスティ

行動 イズ ジャスティ

 

■ほとんどの会話はたいてい誰かの批判

言葉の暴力との無意味な戦いがなくなれば、人は安らかに暮らしていけます。

本田選手も無意味な批判との戦いに使うエネルギーを自分の力の向上に使いたいというのが本音でしょう。

 

実際何かに夢中になっている人は、誰かを批判しようと思わないもの。そんな暇もない。

自分の人生がうまくいっていない、楽しくない、そのマイナスのエネルギーを成功者に向けて憂さ晴らしするのは非常に残念です。

 

他人の批判それは自分の人生が退屈であるという証拠です。

 

僕個人としては、批判を払いのけるほどメンタルが強いとは思えないので、遠ざける、近づかないという消極的方法をとっています。

 

いろんな場所で人間観察をしていても、未熟な人ほどよくしゃべる。そして批判ばかりしている。

個人的経験から来る偏見もありますが、おしゃべりな人とは距離を置くのが安らかな人生への第一歩かなと僕は思います。

 

今のところそれしか解決方法はありませんが、それが最も効果的だと思います。

 

本田選手に不必要な言葉を投げかけた人のうち、彼以上に努力をしている人は1人もいないと思いますよ。それがもう全てじゃないですか。

努力すらできない、当然結果も出せない。

だから言葉に必死にしがみつくんじゃないでしょうか。