内向的でも堂々と生きていける

主に人間関係や楽な働き方について書きます。少しでも読んだ人が楽になれば嬉しいです。

勝手に平成を振り返る 平成九年

平成9年・1997年。

 

4月消費税増税(3%から5%へ)

7月第一回フジロックフェスティバル開催

9月30日JR信越本線横川駅ー軽井沢駅間が廃止

9月PHSの契約者数がピークを迎える

11月16日サッカーワールドカップ初出場決定

12月10日TOYOTAハイブリッド乗用車プリウス発売

12月東京湾アクアライン開通

もののけ姫公開

エヴァンゲリオンブーム

マイブームのブーム

ババシャツと呼ばれる下着が定着

PlayStation黄金期

 

■名前の呼ばれない卒業式

本来なら大学を卒業するはずだった3月。コンピューター関係の学科の単位を取れず、落第が決まり、半年ほど留年することになった。そんなことは気にせず友人と一緒に卒業式に出席して、その後の立食パーティーにも顔を出した。

何もかもが自由だった4年間は、自分の名前の呼ばれない卒業式で締めくくった。

 

学校に通う必要はなく課題のみを提出すればよいということになった。忙しい中来なくてもいいという配慮もあったのだろう。

学校の近くに住んでいた僕はあまりその恩恵を受けることはなく、暇な時は学校に行って後輩たちと遊んでいた。

音楽サークルの後輩とバンドを結成し、月一くらいで都内のライブハウスでライブをしたりしていたのがこの頃。今思えば曲のセンス、練習量、バンドとしてのかっこよさ、全てが足りなかったが、無意味なライブをこなしても何も起こらないという大切なことを学習できたのでよしとする。

大学の方は無事に半年で卒業できた。校舎内の一室で学長から直々に卒業証書を受け取った。本来の卒業シーズンではないため数人だけの寂しい卒業式。やはり3月に卒業式に出たのは正しい選択だった。

 

バンドの方はいわゆる音楽の方向性の不一致が原因で半年で解散。音楽活動からは卒業せずに続けることになる。

 

■労働をCDに替える日々

大学4年時の秋から始めた宅配ピザのアルバイト。いつのまにか主力になっていて、多い月は200時間を超えることもあった。お金をもらえるのが嬉しくて、とにかくよく働いた。労働時間をお金を替える単純な作業と言えないこともないが、学ぶことも多かった。

 

どうしようもなくわがままで個人プレーに走る奴がいて、少し忙しくなるとすぐに不機嫌を撒き散らす男だった。

最終的にはそれが嫌で辞めることになるのだが、どこの職場にもそういう男は必ずいる。そして他人にストレスを与え続けている。

それを真に受け消耗してしまう僕は組織には向いていない。

自分をコントロールできない人間は社会に出てきてほしくない。僕はベーシックインカムには大賛成だ。あれは社会を救うと思う。

 

学生時代寝ていた時間が労働時間に変わっただけだが、その代償としてお金があったのでとにかくCDを買った。いわゆるジャケ買いのようなことをしていたのもこの時期。DISK UNIONでなんとなくCDを物色しているのが至福の時間だった。

 

JPOP的な邦楽はほとんど聞かなくなっていた時期だがジュディマリだけは聴いていた。ロックとポップのほどよいバランスが心地よかった。

そしてミッシェルガンエレファントが台頭してきたのもこの頃。ミッシェル派、ハイスタ派というのがあったらしいが、僕は普通に両方聴いていた。

 

ちょうどこの年にフジロックが始まった。音楽業界全体にも勢いがあった。

 

MDのデッキを買ったのもこの頃。5枚セットで2500円くらいするブランクMDをCDと同じ勢いで買っていた。持っているCDをわざわざMDにダビングして聴いていた。

 

ジョホールバルの歓喜

ドーハの悲劇から4年ついに栄光の瞬間がやってきた。

日本サッカーワールドカップ初出場を決める。主力となっていた中田ヒデが安堵の表情を浮かべたのが印象的だった。ゴールを決めたのは野人、岡野。長髪を振り乱してボールを追いかけていた。懐かしい面々。

 

あれから6大会連続で出場しているが、初出場のインパクトを超えるものはない。

それだけドーハの悲劇は悔しかったし、ワールドカップには出られないのが当たり前、越えられない大きな壁だった。

今は出るのが当たり前みたいな空気があるが、何事も勝つことは楽じゃない。

 

去年のベルギー戦以来見ていないが、本当に日本のサッカーは強くなった。

最近は負けたらニュースになるのがその証拠。

 

PlayStation黄金期

ゲーム関連のことをほとんど追えなくなっていた。その最大の理由がプレステを持っていなかったから。当時プレステが爆発的ブームだった。

話題作ファイナルファンタジー7をプレイしたのも数年後。あの画像には度肝を抜かれた。電車でGO、グランツーリスモクラッシュバンディクー2などがこの年発売された。

 

相変わらずうちにはスーパーファミコンのみ。当時弟と2人暮らしをしていたが、僕の友達が遊びに来ている間じゅうずっと弟はその輪に入ろうとせず、ずっとドラクエをやっていた。ゲームが好きというよりは人が嫌いなのだろう。

カップラーメンを勝手に食べたのが逆鱗に触れたらしく、家に帰ると壁に穴が空いていた。人とうまく折り合いをつけながら生きていくのが苦手なんだろう。

そういう人々を癒すためにもゲームは必要だと思う。ゲームに没頭している間は余計なこと考えなくて済むし、何らかの敵を倒したり、ステージをクリアすることで現実社会の嫌なことも忘れている。

 

その時期ポケモンがブームを迎えていたらしいが、そちらは全く肌で感じることはなかった。

 

みうらじゅん氏のマイブームという言葉がブームに。完全に定着し、今では誰もが使う言葉になっている。