内向型の逆襲

念のため言っておきますが、ブログ名がとてつもなくダサいことは認識していますよ

東京ラブストーリーの頃はまだ奥ゆかしさがあった

東京ラブストーリーを観ていて思ったことがまだいくつかある。

バブル期ということを抜きにしてもあの頃の東京には夢があった。実際にあのドラマが終わって2年後に東京(千葉)に上京した僕にとって東京は憧れの場所であり、住んでいる間もずっと非日常の場所だった。恥ずかしい話だが「ここでカンチとリカみたいな素敵な恋愛をする」という隠れた野望ももちろんあった。

 

自分が無知で世間知らずだったせいもあるが、なんだかんだで憧れの東京ライフを楽しんだ。それは多分あの時代のおかげだと思う。今18歳で上京しても同じようにやっていける自信はない。

 

人の本音にはアクセスしたくない

現在、東京で活躍している人のSNSを覗いてみれば罵詈雑言の嵐だったりする。そこにはあの頃の憧れの東京のイメージはなく、ただ人としての現実が横たわっているだけだ。キラキラしている自分を演出している人、成功している人の足を引っ張りたがる人。とにかく夢がない。

 

僕の大学時代には人の本音に簡単にアクセスする手段はなかった。仲良かった数人以外と腹を割って話すこともなかったし、どういう人なのか知らない人が大半だった。それが普通だったし、知りたければ話す以外なかった。芸能人、一般人、ほとんど全てが遠い人だった。

今は違う。下調べができる。あまり知らない人でもSNSさえやっていればその人の本音に簡単にアクセスできる。

人の本音は残酷なもので、それを知ってしまうと僕の場合その人を好きになることはよっぽどのことがない限りない。

 

人の剥き出しの本音に触れると恐ろしく消耗する。

 

それこそが現代の闇のような気がする。

 

現代は切ない気持ちになる要素がない

東京ラブストーリーではこれでもかというほど、とにかくお互いの本音を探り合う。

疑心暗鬼になり結局悲しい結末になってしまう。

悲しいエンディングではあるが、赤名リカの「また何年か後に偶然街で出会いたいね」に2018年の僕は救われた。

 

今は別れた直後もその人を追跡することが可能である。その人の名前を入力すれば出てくる場合もある。自らインスタに次の彼女の写真を投稿する者もいる。そんな奥ゆかしさのない時代に切ないという感情は生まれない。

元恋人の現在に簡単にアクセスできることからは嫉妬や怒りなどの黒い感情しか生まれない。

 

それはとても残念なことだと思うし、ただただ生きづらい。

世の中には知らないほうがいいことが圧倒的に多い。

 

あの頃よりもさらに強い人だけが生き残る街

もちろん今の東京にも夢はあると思う。ただあまりにも精神的消耗が激しく、完全に不感症になるか、ハートが恐ろしく強い人にしか道は開けないような気がする。

 

人の本音に簡単にアクセスできることは本当に幸せなのだろうか。

隠して生きていけた方が幸せだったと東京ラブストーリーを観て確信した。

 

確かに鈴木保奈美さんがこびとに見えるほど電話機は大きかったがあれはあれでいい時代だったと思う。

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